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12.曽我兵庫頭 [銭泡記]

連歌とは何か


 日が暮れ、辺りは暗くなり始めていた。暗くなっても涼しくはならなかった。

 扇谷上杉定正のお屋形へと続く大通りに面して武家屋敷が並んでいる。その中でも特に大きな構えの屋敷が一つある。定正の重臣、曽我兵庫頭(ひょうごのかみ)の屋敷だった。兵庫頭は扇谷上杉家の重臣ではなく、定正直々の家臣だった。

 扇谷上杉家の重臣には江戸城の太田氏、小田原城の大森氏、松山城の上田氏、岡崎城の三浦氏らがいた。扇谷上杉家の事を決めるに当たっては彼らによる評定(ひょうじょう)で決まり、曽我兵庫頭はその評定の席には出られない。

 兵庫頭としても定正個人の重臣であるよりは、扇谷上杉家の重臣になる事を望んでいる。いつまでも定正の側にいて、定正の機嫌を取っているよりも、一城の主(あるじ)となり、道灌のような華々しい脚光を浴びる事を望んでいた。また、兵庫頭は定正の養子となっている五郎朝良(ともよし)の執事であった。朝良が扇谷上杉家を継げば兵庫頭がそのまま、扇谷上杉家の執事になるという事も可能となる。しかし、太田道灌がいる限り、それは不可能と言えた。

 竜仙坊は兵庫頭の屋敷に忍び込み、離れの書院の床下に隠れていた。定正の配下の山伏を動かしているのは兵庫頭だった。山伏の頭である中道坊がこの城下に戻って来れば、必ず、兵庫頭に連絡を入れるはずだった。道灌の首を追って、どこまで行ったのか分からないが、今晩あたり、中道坊の手下が何かを伝えに来るような気がした。

 竜仙坊はすでに、江戸にいる配下の者たちを長尾伊玄のいる古河と管領のいる鉢形に送っていた。どちらかに道灌の首が届くはずだった。

 兵庫頭は今、上の部屋で書物を読んでいる。何やら和歌の本らしい。兵庫頭に和歌は似合わないが、最近、定正が連歌に凝っているので、兵庫頭としても古典の研究をしているのだろう。

 竜仙坊は床下に横になって目をつぶった。自然と道灌の事が思い出された。

 竜仙坊が道灌と出会ったのは、もう三十年も前の事だった。十五歳の頃より大山に入って、山伏の修行を積んでいた竜仙坊は二十歳で先達(せんだつ)山伏となって大山を下りた。先達山伏とは自分の旦那場(縄張り)を持ち、その旦那場内の信者たちを集めて、大山に連れて行ったり、信者たちに加持祈祷(かじきとう)をしたりする資格のある山伏の事をいう。竜仙坊は武蔵の国の片田舎を旦那場に貰って、勇んで山を下りて行った。しかし、現地に行ってみると住んでいる人もろくにいない辺鄙(へんぴ)な所だった。それでも、竜仙坊は真面目に家々を回って信者たちを集めていた。

 一年が経った。こんな事をしていてもつまらん、こんな田舎に縛られていないで、旅に出て見聞を広めようと竜仙坊が決心した時だった。道端で、若い武士に声を掛けられた。その武士は、この辺りに新しく城を築くのだが道案内をしてくれと竜仙坊に頼んだ。それが、当時、備中守と称していた道灌だった。

 運命的な出会いだった。竜仙坊は旅に出る事も忘れ、道灌のために道案内をした。道灌は竜仙坊の意見も取り入れ、あちこちを見て歩き、江戸城を築くべき場所を選定した。

 一年後に江戸城は完成し、江戸の城下は竜仙坊の旦那場となった。それだけではなく、竜仙坊は道灌のために情報を集めるという内密の仕事も受け持つ事となった。

 竜仙坊は道灌と付き合ってみて、この男なら自分の生命を預けられる男だと見極めた。その見極めは正しかった。竜仙坊は三十年間、道灌のために影になって働いて来た。決して、道灌から命じられて働いて来たのではないと思っている。自分の意志で、道灌のためになると思った事をやって来たつもりだった。そして、道灌もそんな自分を理解してくれた。竜仙坊と道灌は主従関係以上の信頼関係で結ばれていた。

 道灌が亡くなってしまった今でも、その信頼関係は壊れてはいない。亡くなった道灌のためにも、絶対に下手人を突き止め、首を取り戻さなくてはならなかった。

 一時(二時間)程、経った頃、庭の木陰に何者かが、うずくまっているのを感じた。しばらくして、その男は足音もなく書院に近付き、縁側の下にひざまづいて兵庫頭に声を掛けた。兵庫頭は縁側まで出て来て辺りを窺うと、男を中に入れた。その男は中道坊だった。

 竜仙坊は縁側の下まで行き、耳を澄ました。

「どこに行っておったんじゃ」と兵庫頭の声が聞こえた。

「武蔵の府中までです」と中道坊は答えた。

「武蔵府中? そんな所で何をしておったんじゃ。それよりも、道灌をやったのはおぬしらなのか」

「はい。わしの手下二人がやりました」

「おう、そうか。おぬしの手下がやったか‥‥‥そうか、やはり、おぬしらじゃったか。で、道灌の首はどうした」

「それが‥‥‥」

「あ? 首はどうしたんじゃ」

「それが、何者かに奪われてしまいました。二人の手下が殺され、首は何者かに奪われてしまいました」

「首を奪われたじゃと。一体、何者じゃ、首を奪って逃げたという奴は」

「まだ、分かりません。が、絶対に取り戻してみせます」

「そいつらは何者なんじゃ、見当も付かんのか」

「多分、伊玄入道殿か、あるいは、豊島家の残党どもか‥‥‥」

「なに、豊島家の残党?」

「兵庫頭殿、お聞きしたいのですが、例の高田とかいう浪人者は、まだ、この屋敷におりますか」

「さあのう。一々、気にも止めんかったが」

「奴の姿を府中で見たという者があります。ただし、浪人姿ではありません。山伏の格好をしていたとの事です」

「何じゃと、奴が山伏じゃったと」

「はい。確かな確信はありませんが」

「よし、調べて来る。ここで待ってろ」

 兵庫頭が出て行く足音が聞こえた。

 豊島家の残党というのは初耳だった。道灌に滅ぼされた豊島家の残党までもが、道灌の首を狙っていたというのか。奴らの残党がどれ程、いるのか分からないが道灌の生命を狙っていたとなると、道灌を消して江戸城を攻め、領地を取り戻すという事も考えられる。しかし、豊島家の残党にそれ程の力が残っているとは思えなかった。

 しばらくして、兵庫頭は戻って来た。

「やはり、奴はおらん。昨日の昼前、ふらっと出掛けたまま、戻っては来んそうじゃ」

「やはり‥‥‥」

「奴らじゃな、道灌の首を奪ったのは」

「かもしれません。ただ、豊島家の残党というのは、どうも腑に落ちません。豊島家の残党がまだ、いる事は事実ですが、奴らが道灌の首を狙っていたとは思えません」

「なぜじゃ、道灌は奴らにしてみれば仇(かたき)じゃろう。家を滅ぼされ、土地は奪われた。憎き仇を討つというのは当然の事じゃ」

「それは当然かもしれませんが、奴らは、それを実行に移すまでの力がありません。道灌を殺すとなると命懸けは勿論の事、機会を待つには、かなり長い時が必要となります。奴らが、どこぞの山伏を雇うにしろ、莫大な費用を必要とするでしょう。何しろ、関東で誰一人として、知らない者はいないという道灌を殺すんですからね。余程の恩賞を与えない事には誰も動かないでしょう」

「うむ。おぬしのようにのう」

「それに、今回の暗殺がうまく行った事によって、道灌を殺すのは簡単のように思われがちですが、わしらが道灌の命を狙ってから四ケ月近くも経っております。四ケ月間、ずっと道灌の身辺を見張り、ようやく、機会が訪れたのです。今回の機会を逃したら、この先、今回のような機会があったかどうかは分かりません。その辺の事を考えますと、豊島家の残党が一流の山伏を雇っていたとは思えないのです」

「ふーむ。となると、あの高田とか名乗った奴は豊島家の者ではないというのか」

「多分」

「それじゃあ、何者なんじゃ」

「確かな証拠はありませんが、どうも、長尾伊玄の手の者ではないかと」

「奴か‥‥」

「わしの手下の者が、今、古河に行って伊玄を見張っております。伊玄のもとに首が届けば、伊玄の配下という事になるでしょう」

「うむ。道灌の首は絶対に取り戻せ」

「はい。そのつもりでおりますが、季節が季節ですから、かなり、腐敗してしまうかと思われます」

「腐っておってもいい。とにかく、首は取り戻せ」

「はい。畏まりました」

 中道坊は書院から消えた。同時に床下にいた竜仙坊も消えた。

 城下のはずれまで中道坊を追って行った竜仙坊は、後ろから声を掛けた。中道坊は自分を呼び捨てにする奴は誰だ、と警戒して振り返った。竜仙坊だったので一瞬、困ったような顔をしたが、威厳を取り戻して笑いかけた。

 竜仙坊は中道坊の大先輩であった。中道坊が大山に入り、修行を積んでいた頃、竜仙坊は、すでに道灌のもとで活躍していた。当時、中道坊ら若い修行者たちにとって、竜仙坊は尊敬すべき憧れの先輩であった。中道坊も竜仙坊の配下になろうとした頃もあった。今は兵庫頭の下で、頭として大勢の山伏を使っているが、未だに竜仙坊は苦手な存在だった。

「竜仙坊殿ですか、お久し振りです。こんな所で何をしているのです」

「とぼけるな。話は聞いた。殿をやったのは、おぬしらじゃそうじゃのう」

「いや、それは‥‥‥」

「大山中に、その事を言い触らしてやろうか。お山には殿のお世話になっておった者が多いからのう。おぬしの事をどう思うかのう」

「待ってくれ、違うんじゃ。あれは違うんじゃ」

「違う? 何がどう違うんじゃ」

「わしらがやったのではないんじゃ」

「よし、詳しく聞かせて貰おうか」

 竜仙坊は中道坊を近くにある祠(ほこら)まで連れて行って話を聞いた。

「わしは兵庫頭殿より道灌殿の暗殺を命じられた」

「四ケ月前じゃな」

「そうじゃ。わしは断るつもりじゃった。しかし、お屋形様の命令じゃと言う。わしが断れば他の奴にやらせる事は分かっていた。もし、他の奴が道灌殿の暗殺に成功すれば、わしは間違いなく、お払い箱となる。お払い箱になれば、お山に戻ったところで、誰にも相手にされなくなるじゃろう。わしは仕方なく、引き受ける事にしたんじゃ」

「そして、江戸の城下をうろうろしておったんじゃな」

「そうじゃ。道灌殿の命を狙う事はできなかったが、道灌殿の命を狙っているのが、わしらだけではないという事に気づいたんじゃ。管領殿、長尾伊玄、そして、道灌殿に滅ぼされた者たち。奴らは江戸の城下に潜入して、道灌殿の命を狙っていた。江戸では道灌殿を暗殺するのは不可能じゃった。そして、とうとう、絶好の機会が訪れた」

「お屋形でのお茶会じゃな」

「そうじゃ」

「そのお茶会だが、誰がやろうと言い出したんじゃ」

「それは、勿論、お屋形様じゃ。お屋形様は今年になって茶の湯を始められ、庭園内にお茶室をお建てになった。それが完成したのが今月の半ばじゃ。そんな時、偶然にも江戸に伏見屋銭泡殿が現れた。お屋形様が伏見屋殿を招待して、お茶会をやろうと思うのは当然の事じゃ」

「成程。というと、前以て、殿を呼んでお茶会をする予定ではなかったのじゃな」

「まあ、いつかは招待するじゃろうが、特に、お茶室が完成したからと言って、道灌殿を呼ぶ予定はなかったとは思うがのう。お屋形様はまだ、茶の湯を始めたばかりじゃ。それに比べ、道灌殿は茶の湯も名人並の腕だと聞く。お屋形様の性格からして、もう少し腕を上げてからでないと道灌殿は呼ぶまいと思うがの」

「というと、お屋形様の目的は伏見屋殿じゃったのか」

「そうじゃ。伏見屋殿から茶の湯を習うのが目的だったんじゃ。江戸城に滞在している伏見屋殿を招待するのに、道灌殿を招待しないという訳にもいくまい。そこで、一緒に招待したという訳じゃ」

「そして、殿は殺されてしまったのか‥‥‥」

「伏見屋殿が来なければ、道灌殿の首はもう少しつながっていた事じゃろう」

「それで、殿を殺したのは何者じゃ」

「分からん。二人おったが二人共殺された。二人共、見た事もない奴らじゃった。二人は首を持って別々の所に逃げた。どっちが本物なのかは分からん。一人を殺して、首を奪ったのは、わしの手下じゃ。しかし、そいつも何者かに襲われ、首を奪われた。もう一人の方を殺して、首を奪って逃げたのは多分、伊玄の配下じゃろう。おぬしも知っておろう、江戸にいた近江の山伏、風輪坊とかいう奴に斬られた奴は伊玄の配下の覚善坊という奴じゃ。多分、覚善坊の一味が下手人を斬り、首を奪い、逃げる所を風輪坊に邪魔され、覚善坊は風輪坊と戦うが殺されたに違いない。ただ、風輪坊がなぜ、あんな所におったのかは分からん」

「おぬしらは今、両方の首を追っているのか」

「追っている。わしは北に逃げた奴を追い、武蔵の府中まで行った。後の事を手下に任せ、とりあえず、ここに戻って来たんじゃ」

「府中か‥‥‥鉢形に向かうつもりか」

「多分‥‥‥」

「さっき、なぜ、兵庫頭に嘘を付いた。なぜ、自分らが殿を殺したと言った」

「下手人は二人共殺された。武士たちは、わしらの動きは知らん。わしらがやったと言った方が報酬がいいからのう。それに、実際、わしらがやったと言ったとて、わしらの名は表には出ん。道灌殿を殺した者として公表されるのはお屋形様か、あるいは兵庫頭殿じゃ」

「ふん」

「わしらは所詮、闇の中で生きて行くしかないんじゃ。貰える物は貰っておかんとのう」

「闇の中か‥‥‥ところで、おぬし、四ケ月前に殿の暗殺を命じられたと言っておったのう。どうして、急に、お屋形様は殿の暗殺を命じたんじゃ」

「そんな事は知らん」

「しかし、急に、そんな事を命じるとはおかしな事じゃ。何かあったんじゃろうが」

「分からん。分からんが豊島家の浪人とかいう奴が兵庫頭殿のもとに訪ねて来たのが、丁度、その頃じゃった。もしかしたら、そいつにそそのかされて兵庫頭殿がお屋形様に道灌殿の暗殺の事を話したのかもしれん」

「それで、お屋形様より命令が下ったと言うのか」

「多分な。奴が来る前に、道灌殿を暗殺するような話は聞いた事もない。わしが思うに、その浪人は伊玄の配下のような気がする」

「伊玄の配下が兵庫頭をそそのかしたと言うのか」

「兵庫頭殿も道灌殿がいる限り、自分の出番はないと思っていた。そんな時、豊島家の浪人にそそのかされ、決意したんじゃろう」

「しかし、お屋形様までも、その事を認めるというのは納得できん」

「お屋形様としても、道灌殿が邪魔になって来たんじゃろう。道灌殿のお陰で、扇谷上杉家が今のように大きくなったのは事実じゃ。このまま行けば、管領殿よりも大きくなれると考えたのかもしれん。お屋形様としても、いつまでも管領殿の下で働くより、同じ上杉氏として管領殿を倒し、自らが管領になるとの野心を持っておいでじゃ。しかし、道灌殿はその事に絶対反対じゃ。飽くまでも、扇谷上杉家は管領である山内上杉家を助けて、関東の地を守らなければならないと思っている。道灌殿がいる限り、お屋形様は管領殿に刃向かう事はできんのじゃ。かと言って、道灌殿がいなくなれば扇谷上杉家の兵力は低下してしまう。お屋形様は道灌殿と共に、今の状況のままで行くか、それとも、道灌殿を殺してでも野心を貫くかの選択を迫られ、道灌殿を殺す方を選んだのじゃろう」

「お屋形様が管領殿に刃向かうと言うのか」

「その気でおるようじゃ」

「何という事を‥‥‥上杉家同士で争いを始めれば、公方様の思う壷じゃ」

「かもしれん。かもしれんが、お屋形様としても扇谷上杉家は道灌殿で持っているなどと噂されては面白くない。道灌殿なしでも立派にやっていけるという所を見せたいんじゃろうのう」

「ふん、情けない事じゃ。このまま行けば、扇谷上杉家が滅びるのも、そう先の事ではないな」

「そんな事もあるまい」

「おぬしも飼い殺しにされんように気を付けるんじゃな」

 竜仙坊は立ち上がると闇の中に消えた。

「道灌も亡くなり、奴も終わりじゃな」と呟くと中道坊も闇の中に消えた。
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