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13.不審な下男 [銭泡記]

男色の民俗学


 竜仙坊は江戸に、風輪坊は駿河に帰って行った。

 これ以上、ここにいてもしょうがない。殿の首の行方を追うと言って竜仙坊は去り、風輪坊は竜王丸の事が心配だと駿河に向かった。

 銭泡一人が糟屋のお屋形に取り残されてしまった。広すぎる客殿に滞在して、定正の所持する茶道具の鑑定をしたり、時折、定正に茶の湯を教えていた。

 定正は気まぐれだった。熱中していたかと思うと急に飽きてしまう。おだてて誉めてやれば機嫌がいいが、自分の思い通りにならないと、すぐに腹を立て、途中でやめてしまう。顔色を窺いながら教えるのも大変な事だった。教えて貰っているという真摯(しんし)な気持ちなど微塵(みじん)もなく、お屋形様のお茶の師匠にさせてやったんだという尊大な気持ちしかない。万里が来なかった訳も、ようやく、銭泡にも分かって来た。早く、定正から解放される事を願いながら、銭泡は毎日、洞昌院の道灌の墓に行って、念仏を唱えていた。

 銭泡としても早く、江戸に帰りたかった。しかし、定正の許しがない限り、勝手に帰る訳にはいかない。勝手に帰れば、連れ戻されるに決まっている。連れ戻されたら、定正よりどんな嫌がらせをさせられるか分かったものではなかった。

 定正の所持している茶道具は思っていた程、多くはなかった。確かに値打物を多く持っているが、道灌と比べたら、ほんのわずかしかない。頼まれていた鑑定も一日で終わってしまった。それが終わるとする事もなく退屈だった。それでも、仲居のお紺が、銭泡がつまらなそうに一人で部屋の中にいると、声を掛けて来て話相手になってくれた。

 今日も墓参りから帰って来て、部屋で退屈していると、お紺がやって来た。

「伏見屋様、また、お墓参りに行ってらしたのですか」

「そうじゃよ。道灌殿の御家族の方々の代わりとして、わしが参っておるんじゃよ」

「そうだったのですか‥‥‥皆さん、悲しんでおられるでしょうね」

「突然じゃったからのう。そりゃあ、悲しんでおられるじゃろう。ただ、奥方様はまだ、道灌殿の死を知らんのじゃ」

「えっ、どうしてです」

「熊野詣での旅に行っておられるんじゃ。道灌殿の死も知らずに‥‥‥」

「そうだったのですか‥‥‥熊野まで‥‥‥」

「帰って来られたら、さぞ驚く事じゃろう。まあ、その前に知らせを送るとは思うがのう」

「一体、誰が道灌様をあんな目に合わせたのですか。道灌様を殺した人たちは湯殿に隠れていたと聞きましたが、本当なのでしょうか」

「本当らしいのう。あそこに二人、隠れておったという」

「嫌ですわ。道灌様を湯殿に御案内したのは、わたしだったのです。あの時、すでに潜んでいたというのですか」

「そうか、あの時、案内したのは、そなただったのか」

「はい。そして、道灌様の御家来の方を御案内して、最初に見つけたのも、わたしだったのです」

「あの時の悲鳴は、そなただったのか」

「はい。お恥ずかしい事です」

 お紺は目を伏せた。浅葱(あさぎ)色の着物がよく似合っていた。

「なに、あんな光景を見たら悲鳴をあげるのは当然の事じゃ」

「伏見屋様は一体、誰があんな事をしたとお思いです」

「道灌殿の下におられる山伏が調べておったが、はっきりとは分からなかったらしい」

「分からないのですか」

「何しろ、湯殿に潜んでいたという二人は何者かに殺され、身元も分からんとの事じゃ」

「そうなんですか‥‥‥自分を殺した者が何者か分からないなんて道灌様も可哀想ですね」

「首がどこに行ったのか分からんというのが一番、哀れじゃ」

「そうですね‥‥‥一体、誰があんな事をしたのでしょう」

「道灌殿の下にいる山伏の話によると、長尾伊玄殿が怪しいと言っておったが、はっきりとした確信はないそうじゃ」

「長尾伊玄殿って、どなたなのですか」

「どなたといわれてものう。元々は管領殿の執事であった長尾殿の伜なんじゃ。父親が亡くなって、自分が執事になれると思っておったんじゃが、管領殿は伊玄殿ではなく、伊玄殿の叔父、父親の弟じゃな、その人を執事職(しつじしき)に就けたんじゃ。そこで、伊玄殿は管領殿に逆らって兵を挙げた。一時は管領殿やここのお屋形様のおられた五十子(いかっこ)の陣を攻め、管領殿を追い出し、五十子の陣を占領しておった事もあったんじゃが、道灌殿に敗れてのう、秩父の山奥まで追いやられたんじゃ。その後も何度も道灌殿と戦い、痛い目に会わされたようじゃ。今は古河の公方様の所におられるが、道灌殿に余程、恨みを持っておる事じゃろうのう」

「へえ、そんなお人がおられたのですか‥‥‥そのお方が誰かを使って道灌様を」

「らしいのう」

「このお屋形内で、あんな恐ろしい事が起こるなんて‥‥‥」

「お紺さんは、ここに来て長いのか」

「はい、もう三年になります」

「ほう、三年もここにおるのか」

「はい。このお屋形ができた当初から、ここにおります」

「このお屋形は三年前にできたのか」

「はい。お屋形様は河越のお城におられましたが、戦も治まったので、こちらにお移りになられました」

「そうか。三年か‥‥‥失礼じゃが、お紺さんはお嫁には行かないのか」

「はい。どうも、縁がなくて‥‥‥」

「お紺さんのように綺麗な人が、そんな事もあるまい」

「本当です。わたしは戦で両親を失い、親戚の人に育てられたのです。お世話になったその人に、お屋形様にお仕えしないかと勧められて、ここに参りました。十六の時でした。お屋形様のもとにお仕えするなんて怖かったのですが、仲居の人たちもいい人ばかりでしたので、今日までお勤めしてまいりました。お嫁に行く事なんて考えませんでした」

「そうじゃったのか。十六歳でここにのう。そなた程の別嬪(べっぴん)に声が掛からんとは、御家中の若い者たちも見る目がないのう」

「そんな‥‥‥」

「そうか、そなたが美し過ぎるからかもしれんのう」

「そんな‥‥‥」

「いや、きっと、そうじゃ。そなたが美しいから、きっと、お屋形様の思い者じゃと思って、遠慮して誰も声を掛けなかったんじゃ」

「まさか、そんな‥‥‥」

「いや。わしでさえ、初めて見た時、お屋形様の側室様じゃと思ったくらいじゃ」

「伏見屋様、もうやめて下さい。わたしは伏見屋様がおっしゃる程の女ではございません」

「そうかのう。ところで、お紺さん、ちょっと聞きたいのじゃが、ここのお屋形様は何人位の側室様を持っておられるんじゃ」

「えっ、どうして、そんな事を」

「わしが見た所、そなた程の女子はそうはいまい。そのそなたを側室にしないで、仲居にしておくとは不思議に思えてならないんじゃ」

「伏見屋様、ほんとに、もうやめて下さい」

「そうかのう。普通の男なら放ってはおかんと思うがのう」

「ありがとうございます。でも、人にはそれぞれ好みというものがございます。お屋形様の好みは少し変わっているのかもしれません」

「男色(なんしょく)という事か」

 お紺は頷いた。

「わたし、ここに来て初めて、男の人が男の子を可愛がるという事を知りました。お屋形様はお小姓(こしょう)といわれる男の子を五人も抱えておいでです。奥方様や側室様もおりますが、ほとんど、お小姓と夜をお過ごしのようです」

「やはりのう。お屋形様には跡継ぎ様がおられんと聞いた事があったが、やはり、おられんのか」

「はい。お姫様はお二人おりますが、男のお子様はおりません。それで、五郎様というお方を養子にしておいでです」

「五郎様?」

「この間のお茶会の時、いらした刑部少輔(ぎょうぶしょうゆう)様のお子様です」

「というとお屋形様の甥御(おいご)という訳じゃな」

「はい」

「そうか‥‥‥甥御を養子にしておったのか」

「伏見屋様、男色とは、どのようなものなのでございます」

「そんな事、わしは知らん。経験がないのでのう」

「そうなのですか‥‥‥お坊様は皆、経験があると思っておりました」

「わしが出家したのは、四十を過ぎてからじゃ。それまでは妻もおったし子供もおったわ」

「そうだったのですか‥‥‥」

 庭園内に建つ茶室の方に向かう定正の姿が見えた。後ろに一人の武将が従っていた。

「お紺さん、あのお方はどなたじゃ」

 お紺も茶室の方を見た。

「あのお方は曽我兵庫頭様でございます」

「曽我兵庫頭‥‥‥」

「お屋形様がもっとも頼りになさっているお方です」

 曽我兵庫頭の名は竜仙坊より聞いていた。定正のために山伏を使って道灌を殺そうとした男だった。

「二人だけでお茶会でもするのかのう」

「伏見屋様も呼ばれるかもしれませんね」

「いや、二人だけで何か話があるんじゃろう」

 二人が茶室に入った頃、下男が一人、身をかがめて茶室の方に走って行った。

「あれは下男じゃないのか。何をやっておるんじゃろう」

「えっ、どこです」

「お茶室の陰に隠れてしまったが、今、下男がお茶室の方に行ったぞ。確か、あの男は湯殿の戸に板を打ち付けておった男じゃ。お屋形様の所になど行って何をしておるんじゃろ」

「お屋形様に何か頼まれたのではないですか」

「そうかもしれんが、何かおかしいのう」

「そうかしら‥‥‥」

 銭泡はずっと茶室の方を見ていたが、下男は出て来なかった。何となく、下男が定正と兵庫頭の話を盗み聞きしているような気がした。そう思って、この前の事を振り返ると、あの時、あの下男は湯殿の庭で銭泡が竜仙坊、風輪坊と話していた事も立ち聞きしていたように思えて来る。もしかしたら、あの下男は今回の道灌暗殺に関係あるのかもしれない。

「どうしたのですか。そんな下男が何をしようといいじゃありませんか。きっと、お茶室の向こうの竹が邪魔だから、切れとでも言われたんでしょう」

「うむ‥‥‥そうかもしれんな」

「伏見屋様。伏見屋様はどうして、出家なさったのですか」

「昔の事じゃ」

「御家族の方たちはどうなされたのです。突然、御主人様が出家なさったら御家族の方たちはお困りでしょうに」

「家族はみんな、死んだんじゃよ。いや、殺されたんじゃ」

「そうだったのですか‥‥‥すみません、余計な事を聞いちゃって‥‥‥」

「いいんじゃ。もう、昔の事じゃ。家族を殺したのは、わしのせいなんじゃよ。戦が始まっても、わしは銭儲けの事ばかり考えて、家族の事など心配しなかった。家族の事を考えて避難しておったら、こんな事にはならなかったんじゃ」

「伏見屋様も色々とお辛い目に会っていらっしゃったんですね」

「もうすぐ、六十じゃからな。色々な目に会っておるよ」

 銭泡はお紺と話しながらも、ずっと茶室の方を見ていた。

「伏見屋様、伏見屋様は絵の事にお詳しいとお聞きしましたが」

「ああ、少しはな」

「わたし、気に入った絵があるんです。見ていただけません。お屋形様からいただいたんですけど、どんなお人が描いたのか分からなくて、伏見屋様に見ていただきたいのです」

「そんな事くらい、構わんが」

「嬉しい。わたしの部屋まで来て下さい」

「そなたの部屋?」

「はい」

「いいのか」

「構いません」

 お紺は屈託のない顔付きで笑っていた。

 銭泡は茶室の事も気になったが、お紺から部屋に来てくれと誘われ、断る事はできなかった。

 お紺に連れられて、客殿から常の御殿の廊下を通り、湯殿へと続く渡り廊下の所から外に降り、お紺の寝泊りしている長屋へと行った。その長屋は三部屋あり、お紺は一番端の部屋を使っていると言う。そこは湯殿のすぐ側の部屋だった。

 お紺は部屋に飾ってある絵を示した。

「これなんですけど、どうですか」

 その絵は、この部屋には絶対に似合わない程の名画だった。小さな山水画だったが素晴らしい物だった。

「この絵をお屋形様から貰ったと言うのか」

 銭泡は驚きながら、お紺に聞いた。

「はい。いい絵だって誉めたら、この絵の価値が分かるなんて大したもんだって、わたしにくれたんです」

「確かに名画じゃ。お屋形様も随分と気前のいいもんじゃのう」

「本当に名画なのですか」

「本当じゃ。これ程の絵がこんな所にあるとはのう‥‥‥この絵なら将軍様でさえ、喉から手を出して欲しがる事じゃろう」

「えっ、そんな凄い絵なのですか」

「凄いなんてもんじゃない。牧谿(もっけい)和尚という明国(みんこく)の禅僧の絵じゃ」

「牧谿和尚‥‥‥牧谿和尚って有名な人なんですか」

「有名じゃ。亡くなってしまわれた道灌殿がこの絵を見たら、銭を山と積んで、この絵を欲しがる事じゃろう」

「へえ‥‥そんな凄い絵だったのですか‥‥」

「大事にする事じゃ」

「はい‥‥‥」

 銭泡とお紺はしばし、牧谿和尚の絵に見とれていた。

 四半時(しはんとき)(三十分)程経って、客殿に戻ると茶室には定正の姿も曽我兵庫頭の姿もなかった。当然、下男の姿もない。

 お紺は銭泡のための夕食を浮き浮きしながら運んでいた。

 夕食の後、銭泡は下男の長屋まで出掛けた。茶室の所に行った下男の事が、どうも気になっていた。お紺と一緒に行けば色々と聞けると思ったが、お紺は食事の後片付けをしているのか、自分の食事をしているのか戻って来ない。銭泡は客殿から庭に降りて能舞台の先にある中門の方に向かった。お屋形の東側にある客殿に面している庭園と正門から入った主殿の前の広場は塀で仕切られている。銭泡は中門をくぐって塀の向う側に出た。

 主殿には大勢の客が集まっていた。道灌の死を聞いて、集まって来た扇谷上杉家の重臣たちのようだった。

 銭泡は門番に下男のいる小屋の場所を聞いた。下男の長屋は西側の塀の向こう側の一番奥の方にあるという。案内すると言ってくれたが、忙しそうだからと言って断り、一人で向かった。

 また、中門をくぐって塀の向こうに出ると正面に大きな廐(うまや)が見えた。廐の回りには客たちの馬が何頭もいて、供の者たちが馬の世話をしている。廐の中には銭泡が江戸から乗って来た馬もいるはずだった。廐の横は広々とした庭になっていて、侍たちの武術稽古場のようだ。土塁に沿って侍長屋があり、蔵が並び、そして、一番向こうに下男の住む小屋らしいものがある。

 庭には井戸端で水浴びをしている侍が二人いたが、話に熱中していて、銭泡の方を見もしなかった。銭泡は塀に沿って、真っすぐ、下男小屋に向かった。

 小屋の中に目的の下男はいなかった。飯を食べていた下男に聞いて見ると、その男は今、風呂の用意をしているという。

 世間話をしながら、それとなく、目的の下男の事を聞いてみると、名は弥吉といい、ここにお屋形を建てた三年前から、ずっと、ここにいる。雪深い越後の国から流れて来たらしいと言う。働き者のいい男じゃ、と彦次という人の良さそうな下男は笑った。

 銭泡は彦次と別れ、主殿の裏にある台所の方に行ってみた。井戸端で女たちが、わいわい言いながら仕事をしていた。お紺もいるかと捜してみたが、いないようだった。

 台所の横を抜けて、定正の常の御殿の裏を通ると、さっき、絵を見せてもらったお紺の部屋が見えた。仲居の長屋の隣りに使用人たちの風呂がある。湯殿が使えないので、定正を初め、銭泡も、この風呂を利用していた。弥吉は風呂の用意をしていると彦次は言ったが、姿は見当たらなかった。

 お紺が部屋にいたら、もう一度、絵を見せてもらうかと思い、声を掛けようとした時、お紺の部屋から弥吉が出て来た。弥吉は銭泡に軽く頭を下げると、背中を丸めて風呂の方に行った。

「まったく、やんなっちゃうわ」と言いながら、お紺が部屋から出て来た。

「あら、伏見屋様、どうなさったのですか」

 お紺は不思議そうな顔をして銭泡を見ていたが、すぐに縁側に畏まった。

「いや、なに、食後の散歩じゃ」

「そうでしたか‥‥‥」

「何かあったのか」

「えっ、ええ、ネズミなんですよ。大きなネズミが出たんです。丁度、弥吉がいたので、捕まえてって頼んだら、逃げられちゃったんです。まったく、のろまなんだから」

「ネズミか‥‥‥」

「そう、嫌んなっちゃうわ、まったく。よく出るのよ‥‥‥そうそう、伏見屋様、お酒でも召し上がりますか。お屋形様が、召し上がるようでしたら、出してやってくれって。お屋形様も何かと忙しくて、なかなか、お相手ができないので退屈させないようにって言われました」

「酒か、そうじゃのう。少し、いただこうかのう」

「お部屋の方でお待ち下さい。すぐに、お持ちいたします」

 お紺は縁側から降りると、待っていて下さいと言って、小走りに台所の方に向かった。

 銭泡は使用禁止の湯殿を回って、弥吉がいたと思われる茶室の辺りを覗いてみた。茶室の回りの草が綺麗にむしられていた。どうやら、弥吉はこの辺りの草むしりをしていたらしい。定正と曽我兵庫頭の二人はここでお茶を飲んだが、聞かれてはまずいような話をしていなかったので、側で弥吉が草むしりをしていても放っておいたのだろう。

 銭泡は客殿に戻った。

 弥吉が怪しいと勘ぐっていたが、この屋形が建てられた三年前から、ここにいるとなれば、道灌の暗殺には関係なさそうだった。しかも、越後出身だという。長尾伊玄の手の者なら武蔵の国、あるいは上野の国の出身だろう。越後の国と伊玄のつながりはないはずだった。

 お紺が酒を持って、やって来た。

「お待ちどうさま」

 一人で飲んでもつまらんから、一緒に飲まないかと誘うと、少しだけならとお紺は頷いた。

 お紺は銭泡に酒を注ぎながら、しきりに、道灌がどうして殺されたのか聞きたがった。

 道灌の活躍は子供の頃から聞いていて、憧れの念を持っていたという。ここに来て初めての正月、その道灌がここに来ると聞いて、お紺は道灌に会えるなんて夢のようだと、ドキドキしながら待っていた。その頃のお紺は台所の方で雑用をやらされていたので、道灌のいる客殿には行けなかったが、チラッとでも見る事ができて嬉しかった。実際に見た道灌は想像していた通りの人だったという。

 ここに来てから二年目、お紺はお客の接待を専門にやるようになり、道灌とも間近に接し、話もできるようになった。お屋形様から、もし、道灌から誘いがかかったら床を共にしろとも命じられ、もし、そうなったらどうしようと嬉しいやら怖いやら、いつも不思議な気持ちで待っていたと言う。しかし、道灌からは声は掛からなかった。

 今回も、もしかしたらと期待していたのに、湯殿に案内しただけで、あっさりと殺されてしまった。道灌ともあろうお人が、あんなにもあっさりと殺されてしまうなんて信じられないと憂(うれ)いを含んだ顔付きで言った。

「ほう、そなたが道灌殿とのう‥‥‥」

「嫌ですわ。道灌様はわたしにお声を掛けては下さいませんでした」

「道灌殿はのう、出家なさってからは女子(おなご)を近付けなくなったらしいんじゃよ。出家なさる前は、わしを遊女屋に連れて行って、わしが女子を近付けないでいると、そんな事にこだわっていては立派な茶人になれん。男が女子を抱くのは自然の事じゃ、と言っておった。わしも、そう思った。一杯のお茶の中には、この世のすべてが含まれておるんじゃよ。何もかもがじゃ。その中に女子だけが含まれんという事はないんじゃ。わしは道灌殿に言われてから、女子を近付けるようになった。坊主として生きるよりも、茶人として生きる事に決めたんじゃ。ところが、今度は道灌殿の方が女子を近付けなくなったんじゃ。わしにはよく分からんが、道灌殿には道灌殿の考えがあっての事じゃろうのう」

「そうだったのですか‥‥‥」

「うむ。道灌殿は戦に明け暮れておった。何人もの人を殺した事じゃろう。ある時は非情と言われる事もしたじゃろう。人からは名将と言われておるが、道灌殿も何度も辛い目に会っておったはずじゃ。色々な事があって、出家を決意なされたのじゃろう」

「道灌様が死んでしまうなんて‥‥‥どうして、殺されなければならなかったんです」

「それはのう、色々と訳があるようじゃ。わしにもよく分からんが道灌殿に恨みを持っておった者も多いらしい」

「道灌様に恨みを」

「そうじゃ。道灌殿に滅ぼされた者たちも多いらしいのう。滅ぼされはせんが長尾伊玄殿も恨みを持っておるじゃろう。それに、大っぴらには言えんが、管領殿も道灌殿の活躍で自分の影が薄くなり、道灌殿の存在を快くは思っておらんじゃろうの」

「ここのお屋形様は?」とお紺は小声で聞いた。

「ここのお屋形様か‥‥‥」

「わたしね、時々、お屋形様が道灌様の悪口を言っているのを聞いた事あります。もしかしたら、ここのお屋形様が‥‥‥」

「そんな事を言ったら首が飛ぶぞ」

「だって、夕方、お屋形様と曽我兵庫頭様が二人だけでお茶室に入って行かれたでしょ。わたし、あれを見て、道灌様がお亡くなりになったのを二人で喜んでいるような気がしましたわ」

「まさか‥‥‥」

「いいえ。きっと、喜んでいるんですよ。お屋形様なんて道灌様がお亡くなりになったというのに、全然、悲しそうじゃありません」

「そんな事もあるまい」

「もし、お屋形様が道灌様を殺したとしたら、わたし、こんな所にいられません」

「どうするんじゃ。親戚のもとに帰るのか」

「分かりません。分かりませんけど、こんな所にいたくありません。伏見屋様は江戸に帰るんでしょ」

「とりあえずはな」

「わたしも江戸に行こうかしら。賑やかな所なんでしょ」

「うむ、いい所じゃ。江戸に行くんじゃったら『善法園』というお茶を売っている店を訪ねて来るがいい。多分、わしはそこにおるじゃろう」

「善法園ですね。行くかもしれませんよ」

 一時余り、お紺は銭泡と酒を付き合い、よろよろした足取りで帰って行った。

 お紺はお屋形様を疑っていた。同じ屋形内に住んでいる使用人にまで疑われるとは、定正も余程、道灌を嫌っていたとみえる。そう思いながら銭泡は眠りについた。

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