So-net無料ブログ作成
検索選択
銭泡記 ブログトップ

序章 [銭泡記]

山吹


 箱根湯本に金湯山早雲寺という臨済宗大徳寺派の禅寺がある。後に北条早雲と呼ばれる伊勢早雲の菩提(ぼだい)を弔うために子の氏綱が創建した寺院で、境内には北条氏五代の墓が並び、連歌師、宗祇(そうぎ)の墓もある。

 その早雲寺から『銭泡記(ぜんぽうき)』と題された古文書が発見された。早雲の手によって、厳重に密封された桐箱の中にしまわれてあった。

 その古文書を書いた者は、粟田口善法あるいは伏見屋銭泡と呼ばれた茶人で、茶の湯の創始者といわれる村田珠光(じゅこう)の弟子だった。晩年は京都の粟田口に草庵を結び、佗び茶人として一生を過ごしたが、粟田口に落ち着くまでは各地を旅して回り、大名たちに茶の湯の指導をした。銭泡より指導を受けたと思われるのは、駿河の今川氏、江戸の太田氏、播磨の赤松氏、周防の大内氏、豊後の大友氏、美濃の土岐氏、越前の朝倉氏、越中の本願寺、越後の上杉氏、堺の商人たちがいた。

 文明十八年(一四八六年)の六月、銭泡は江戸城の太田道灌(どうかん)を十年振りに訪ね、翌月の二十六日、道灌が暗殺された現場にいた。

 太田道灌は江戸城の創始者であり、文武両道の名将として、その名は京にまで聞こえていた。数々の伝説も生まれ、特に『山吹の里』の話は有名だった。

 ある日、道灌が鷹狩りに出掛けた時、俄か雨に会い、農家に立ち寄って、蓑(みの)を貸してくれと頼んだ。若い娘が出て来て、何も言わず、ただ一輪の山吹の花を捧げた。道灌は娘の態度に腹を立て、雨に濡れながら城に帰った。和歌に詳しい家臣にその事を話すと、その娘が山吹の花を捧げたのは、『七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞ悲しき』という古歌に託して、蓑の一つもない貧しさを訴えたのだろうと言う。道灌は自分の無知を恥じて、以後、歌道に精進したと言われている。江戸時代に作られた伝説である。

 実際の道灌は子供の頃から鎌倉の建長寺や足利学校で学問を学んだ秀才だった。二十四歳で太田家の家督を継ぎ、扇谷(おおぎがやつ)上杉家の執事(しつじ)となった。二十五歳の時、江戸城を築城し、その後、上杉方の中心となって関東中を走り回り、古河公方と戦った。

 五十五歳で暗殺されたが、その生涯は戦に明け暮れていたと言ってもいい。しかし、戦の合間に、京から下向して来られた文人たちと交わり、古典に親しみ、和歌や漢詩を楽しみ、連歌会、お茶会などを催していた。道灌のいた江戸城の城下は、応仁の乱で焼け野原となる前の京の都のように栄えていた。

 『銭泡記』は、道灌暗殺の二年後、早雲の求めに応じ、現場にいた銭泡によって、当時の状況を詳しく書いたものだった。

1.江戸城 [銭泡記]

 強い日差しを浴びて、海がキラキラと輝き、船の回りをカモメが楽しそうに飛び回っている。

 色あせた墨衣を着た僧侶が懐かしそうに、船の上から陸の方を眺めていた。

「おう、見えて来たわ‥‥‥」

 僧侶は使いなれた杖を突き、目の上に手をかざして誰にともなく言った。嬉しくてたまらないというように始終ニコニコしている。

 僧侶の回りには商人らしき者、お伊勢参りの帰りのような旅人たち、琵琶を抱えた芸人、人買いに売られた若い娘たちがいるが、皆、僧侶と同じ方を見つめていた。一同が見つめているのは江戸城。小高い丘の上に建つ三層の静勝軒(せいしょうけん)は江戸の象徴だった。

「久し振りじゃのう‥‥‥」

「伏見屋殿」と呼ばれると僧侶は振り返った。

 頭は坊主だが腰に刀を差し、武士の格好をした貫禄のある男が近づいて来た。

「道胤(どういん)殿、懐かしいですなあ」僧侶は江戸城を見ながら、しみじみと言った。

「殿も首を長くして、お待ちかねの事でしょう」と道胤と呼ばれた男は言う。

「十年振りですよ」

「もう、そんなにも経ちますか‥‥‥」

「あのお城にお茶室を建てたのが、ついこの間の事のように思い出されます」

「筑波亭(つくばてい)ですな。あれから四畳半のお茶室が流行りまして、各地の武将たちが、あれを真似して建てました。もっとも、わしのもあれを真似たものですがな」

「珠光(じゅこう)殿もお喜びの事でしょう」

「もうすぐです」と言うと道胤は別の客の所に行き、挨拶をして回った。

 僧侶はまた江戸城の方を見て、「懐かしいのう」と感慨深げに言った。

続きを読む


2.梅花無尽蔵 [銭泡記]

万里集九


 銭泡(ぜんぽう)は泊船亭の一室で目を覚ました。

 夕べ、筑波亭でお茶を飲んだ後、静勝軒の大広間に移った。すでに、山のような御馳走が並び、十年前、銭泡が茶の湯を教えた太田家の家臣や、江戸城下に住む公家や僧侶たちも集まって来た。

 懐かしい顔振れだった。十年前とほとんど変わっていない者もいれば、やけに老けた者もいる。残念な事に戦死してしまった者や病死した者もいた。特に驚いたのは道灌の甥で、道灌が養子にしていた図書助資忠(ずしょのすけすけただ)が七年前に、二十六歳の若さで戦死してしまったという事だった。

 図書助は岩付(岩槻)城主だったため、正月に江戸城に挨拶に来た時、一度、会っただけだったが、若いわりにはしっかりした男だった。戦での活躍も度々、耳にしていただけに、惜しい人を亡くしたとがっかりした。さぞ、道灌も嘆かれた事だろう。

 十年の間に様々な悲しい事もあっただろうが、そんな事は忘れて、皆、銭泡の再来を歓迎してくれた。城下に住む芸人や遊女も呼ばれ、宴は賑やかに行なわれた。

 道灌も十年前よりも丸くなったようだった。十年前は、どこか近寄りがたい威厳のようなものを常に感じていたが、頭を丸めた今の道灌は人を威圧させるような感じはなく、慈悲深い優しさが滲み出ているようだった。

 銭泡は駿河にいた早雲が前に言った言葉を思い出していた。早雲と道灌は同じ年だが、生き方はまるで違っている。生き方は違うが、お互いに相手の事がよく分かるようだった。早雲は『道灌がいる限り、関東の事は安泰じゃ』と常に言っていた。銭泡も目の前の道灌を見ながら、まさしく、早雲の言う通りだと思った。

 夜更けまで賑やかに宴は続いた。どの顔も和やかだった。太田家はうまく行っているようだった。宴が終わると銭泡は道胤の伜、兵庫助に泊船亭に案内された。

 銭泡が縁側に出て、朝の海を眺めていると若い仲居がやって来て、銭泡の横に座って頭を下げた。

「ゆうと申します。伏見屋様のお世話を担当する事になりました。御用の時はいつでも、お呼び下さいませ」

 色白で目のくりっとした可愛い娘だった。

「おゆうさんか、よろしく頼みますよ」

「こちらこそ、お願いいたします」

「いい眺めじゃのう」

 銭泡は顔を洗うと、中城(なかじろ)にいる漆桶万里(しっとうばんり)に会いに出掛けた。

続きを読む


3.夢庵肖柏 [銭泡記]

新編日本古典文学全集(61)連歌集・俳諧集



 銭泡が滞在している泊船亭は、十年前に滞在した含雪斎(がんせつさい)と似たような作りだった。共に広い縁側に囲まれた八畳敷きの四部屋からなり、床の間と違い棚の付いた書院作りだった。

 含雪斎は静勝軒の西側の富士山がよく見える所に建っている。泊船亭は東側にあり、城下と湊、そして、広々とした海が見渡せた。

 銭泡は夕暮れ近くの一時、ぼうっとして海を眺めていた。

 潮風が気持ち良かった。

 海を眺めながら、こんな事をしていていいのかと思っていた。万里との話から急に家族の事を思い出し、その時の心境も思い出していた。

 家族を失った銭泡は財産をすべて使い果し、無一文になって旅に出た。珠光の弟子だという事も口には出さなかった。珠光は前将軍、足利義政の茶の湯の師匠だった。その事を口に出せば、大名たちは放ってはおかないだろう。珠光の始めた『佗び茶』は、すでに噂になってはいても、それを実際に知っている者は京や奈良の一部の人たちだけだった。地方の大名たちは、その『佗び茶』を知っていると言えば飛びついて来るだろう。しかし、銭泡はお茶の事など一言もしゃべらず、腹を空かせていても乞食坊主を続けていた。

 汚い格好をして各地を旅していたが、それはそれで楽しかった。あの頃の自分は茶の湯を生きるための手段にはしなかった。茶の湯の事を口に出さなくても、生きて行く事はできた。ところが、今の自分は茶の湯を生きるための糧(かて)としている。各地の大名たちに招待され、持て囃(はや)され、贅沢な暮らしをしている。

 こんな事でいいのだろうか‥‥‥

 師の珠光は地方に茶の湯を広めてくれた事を喜んでくれた。しかし、何となく、自分の生き方ではないような気がした。

 仲居(なかい)のおゆうがやって来て、銭泡の側に控えた。

「お食事の御用意ができましたけれど」

「そうか‥‥‥」銭泡は生返事をしたまま、じっと海を見つめていた。

 おゆうも銭泡と同じように海を眺めた。おゆうにとって、ここから眺める海は珍しくも何ともないが、ここに滞在する旅人が黙って海を眺めているのには慣れていた。そういう時はしばらく、放っておいた方がいいという事も心得ていた。

続きを読む


4.越生の自得軒 [銭泡記]




 江戸城から九里程北西の所に河越城がある。太田道灌の主君である扇谷(おおぎがやつ)上杉修理大夫定正(しゅりのだいぶさだまさ)の居城だった。

 江戸城も河越城も三十年程前に、道灌と父の道真によって、当時、敵対していた古河公方(こがくぼう)足利成氏(しげうじ)に対抗するために建てられた城だった。

 享徳三年(一四五四年)に始まった関東の争乱は三十年にも及んだ。四年前にようやく、古河公方と関東管領(かんれい)の上杉氏は和睦し、一応、今は戦は治まっていた。

 公方とは幕府が関東の地を治めるために置いた出先機関で、元々は鎌倉にいて鎌倉公方と呼ばれていた。関東管領とは、その鎌倉公方の執事(しつじ)役だった。公方と管領が対立して争いを始めたため、関東一円が戦に巻き込まれた。公方は鎌倉を追い出され、下総の古河を本拠地にして管領に対抗した。以後、公方は二度と鎌倉に戻れず、古河公方と呼ばれるようになった。

 上杉氏には山内(やまのうち)上杉氏と扇谷上杉氏があり、代々、管領職(かんれいしき)に就いていたのは山内上杉氏だった。山内上杉氏は上野(こうづけ)の国と武蔵の国の守護職(しゅごしき)を持ち、扇谷上杉氏は相模の国の守護職を持っている。山内上杉氏と扇谷上杉氏の勢力差はかなりあり、扇谷上杉氏は常に山内上杉氏の下に立っていた。

 また、越後にも上杉氏はいた。今の管領職に就いている顕定(あきさだ)は越後の上杉相模守房定(さがみのかみふささだ)の次男だった。管領が越後から来たため、越後の兵もかなり関東の地に来ていて、戦でも活躍している。今も、顕定の兄である左馬助定昌(さまのすけさだまさ)は上野の国の白井(しろい)城(群馬県子持村)に腰を落ち着け、関東を睨んでいた。

 関東管領は上杉顕定だったが、実際は、その父親である越後の上杉房定が実力を持って関東を治めているといってもよかった。

 太田道灌は扇谷上杉氏の執事だった。道灌の活躍により、扇谷上杉氏の勢力は着々と伸びて行った。関東の武士はもとより道灌の活躍は京の都にまで聞こえている。

 河越城は扇谷上杉氏の本拠地として修理大夫定正が守っていたが、戦も治まったため、定正は相模の国の糟屋(かすや)に屋敷を新築して、三年前から移っていた。河越城の守備は道灌に任され、今、道灌の重臣である川名辺越前守が城代として入っている。

 その河越城から五里程西に行った所に越生(おごせ)という所がある。山に囲まれた小さな町で、戦死した将兵の霊を慰めるため、将軍の命で建てられた曹洞(そうとう)宗の禅寺、龍穏寺(りゅうおんじ)がある。その龍穏寺の側に道灌の父親、道真の隠居所である自得軒(じとくけん)はあった。

 伏見屋銭泡と漆桶万里は道灌に連れられて、自得軒に来ていた。

続きを読む


5.道灌の側室、およの [銭泡記]

戦国期静岡の研究


 江戸城に戻って来た銭泡は、道真から聞いた事を道灌に話した。

「親父の取り越し苦労じゃ」と道灌は笑いながら言った。

 心配している様子は少しもなかった。

 配下の山伏を使って、管領(かんれい)の山内(やまのうち)上杉顕定(あきさだ)やお屋形の扇谷(おおぎがやつ)上杉定正を見張らせているという。管領殿やお屋形様を見張りたくはないが、何が起こるか分からない時勢なのでしょうがない。わしの事は大丈夫だから心配するなと言われた。

 この道灌なら手抜かりはないだろう。道真の取り越し苦労に違いないと銭泡も思った。父親にすれば、やはり、息子はいつまで経っても子供のままで、心配でしょうがないのだろう。道灌もすでに五十歳を過ぎている。回りが自分の事をどう思っているかを見抜き、そのための準備は怠りなくやっている。心配する必要もなかった。

 その時以来、銭泡はその事は忘れた。

 暑い日の昼下り、銭泡は道灌の家族の住む香月亭を訪ねていた。

 香月亭には側室のおよのと道灌の子供たちが住んでいた。道灌の奥方様は熊野参詣の旅に出掛けていて留守だった。家臣たちの奥方たちと連れ立って、遠く紀伊の国(和歌山県)まで、物見遊山(ものみゆさん)の旅に出掛けているという。

 およのは銭泡が訪ねて来てくれた事に大喜びだった。銭泡は、およのが道灌の側室になった頃の事をよく知っていた。

 十年前、銭泡がここに滞在していた頃、駿河の守護、今川義忠が戦死して家督争いが始まった。道灌はお屋形の扇谷上杉定正の命によって、今川家の内訌を治めるため駿河に向かった。銭泡も義忠には世話になった事があったので一緒に出掛けた。

 駿河で道灌は今川家の重臣たちに歓迎され、今川家の重臣が道灌の身の回りの世話をするために付けたのが、およのだった。およのの他にも家臣たちの娘が大勢、用意されたが、道灌はおよのだけが気に入り、およのも道灌が気に入ったとみえて江戸まで付いて来て、そのまま、側室に納まった。その後、およのは道灌の四男を産み、梅千代と名付けられた、その男の子は九歳になっていた。

続きを読む


6.お志乃 [銭泡記]

大名物 唐物 肩衝茶入 初花写


 江戸に来て、一月余りが過ぎた。

 銭泡は道灌が十年間の間に集めたお茶道具の鑑定をしたり、道灌の家臣たちのお茶会に出掛けたり、万里と一緒に浅草にお参りに出掛けたり、道灌と船遊びをしたり、毎日、楽しく暮らしていた。

 十年間に道灌が収集したお茶道具は物凄かった。まさに、銭に糸目を付けずに集めたもので、特に唐物(からもの)の絵画に関しては驚くべきものがあった。

 応仁の乱で京都の大寺院がほとんど焼け、数々の名画も焼けてしまった。また、どさくさに紛れて盗まれ、行方知れずになった物も多い。そんな名画の何点かを道灌が持っていたのだった。どういう経路で手に入れたのかは分からないが、それらの名画が昔のままの姿で江戸城にあったのは、銭泡としては嬉しい事だった。中には、噂だけは聞いていたが、目にした事のなかった名画を見る事ができたのは感激だった。

 七夕の日、静勝軒では盛大な花会が行なわれた。また、城下のあちこちでも町人たちによる花会が行なわれ、城下全体が祭りのように賑やかだった。

 花会とは自慢の花瓶に花を立てて競う娯楽で、立て花と呼ばれ、華道の原点と言えるものだった。静勝軒では飾られた花の中で歌合わせが行なわれ、道灌の家臣たちや城下に住む歌人たちが歌を競い合った。城下の花会では、飾られた花の中で闘茶(とうちゃ)が行なわれていた。

 闘茶とは何種類かのお茶を飲み、その種類を当てるという賭博(とばく)的要素を持った娯楽だった。様々な景品も用意され、闘茶の後は決まって宴会となった。当時、庶民たちから武士や公家、僧侶に至るまで、それぞれに闘茶を楽しんでいた。

 銭泡は道灌から静勝軒での花会の奉行(ぶぎょう)に任命され、出品する花瓶の選別をしたり、立て花の指導に当たったり、七月に入ってからは何かと忙しかった。

 七夕の花会も好評のうちに終わった。

 後片付けも済んだ次の日の午後、銭泡は泊船亭から海を眺めながら、これからの事を考えていた。いつまでも、道灌に甘えてばかりもいられない。銭泡がここに滞在中にも、遠くから江戸城を訪ねて来る歌人や詩人は多かった。銭泡が泊船亭に滞在しているため、彼らは城下の旅籠屋に泊まっている。四部屋もある泊船亭を一人で占領しているのは何だか悪い気がしていた。

 道灌は気兼ねなく、好きなだけいればいいと言ってくれるが、そう、いつまでも甘えてもいられない。また、これから、どこに行くという当てもない。万里もここに住んでいる事だし、二、三年、ここに腰を落ち着けようかとも思っていた。腰を落ち着けるとなれば、城下のどこかに家を借りた方がいいだろう。鈴木道胤に相談してみようと思った。

続きを読む


7.駿河の竜王丸殿 [銭泡記]

雪舟『秋冬山水図』


 暑い日が続いていたが、今日は比較的、涼しかった。

 銭泡は泊船亭の縁側に座って、海の絵を描いていた。仲居のおゆうが隣りにちょこんと座って銭泡の筆使いを見ている。

 昔から気が向けば時々、絵を描いてはいたが、八年程前、周防(すおう)の国(山口県)の山口に行った時、画僧、雪舟(せっしゅう)と接してから、益々、絵に興味を持って行った。

 山口にいた頃は雪舟の雲谷庵(うんこくあん)によく出入りして、雪舟に茶の湯の指導をしながら、代わりに絵の技法を習っていた。とても、雪舟のような筆使いはできないが、それ以後、我ながら一段と上達したと思っている。

 銭泡は雪舟と不思議な縁があった。旅を続けている者同士は、とんでもない所で、とんでもない人とばったり再会するものだが、銭泡と雪舟もそうだった。

 六年程前、銭泡は四国を旅していた。すると阿波の国(徳島県)で、ばったりと雪舟と再会した。しばらく、共に旅をして山口の雲谷庵まで行った。銭泡は山口に一年近く滞在していたが、雪舟は関東の方へと旅立った。銭泡は山口から京に戻り、近江(滋賀県)にある宗祇の種玉庵(しゅぎょくあん)を訪ねた。宗祇から美濃の漆桶万里を紹介されて、行ってみると、何と、そこに雪舟がいた。

 雪舟も万里も共に京の相国寺で修行した仲で、古くからの知り合いだという。その後、雪舟は出羽の国(山形県、秋田県)まで行き、鎌倉に寄って山口に帰った。万里のもとに来た手紙によると、最近はあまり、旅もしないで、山口にて気楽に絵を描いているという。雪舟とはもう一度、会って、一緒に酒を飲みたいと思っていた。

 銭泡は最近、絵を描いていなかった。別に理由があっての事ではないが、ただ、何となく筆無精になっていた。ところが、この前、お志乃の家で十年前に描いた自分の絵を見てから、久々に描きたくなって、暇を見つけてはこうして描いていた。

「うまいですね」とおゆうは感心した。

「わしの絵など、いたずら描きに過ぎんよ」

「そんな事ないです。凄いわ」

「気に入ったなら、あげるよ」

「ほんと、嬉しい」

続きを読む


8.糟屋のお屋形 [銭泡記]

室町絵画の残像


 物凄く暑い日だった。

 のんびりと馬の背に揺られながらも、汗びっしょりとなった。銭泡は道灌に連れられ、相模の国、糟屋(かすや)(伊勢原市)へと向かっていた。道灌の思った通り、万里は付いて来なかった。

 江戸城を出たのは昼過ぎだった。午前中、銭泡は万里を訪ねた。

「わしは行かんよ。この前、懲りておるからのう。おぬしも覚悟して行った方がいい。どっと疲れる事となろう。それとな、ここ、江戸の城下の事は話題にしない方がいいぞ。たちまち機嫌が悪くなるからのう。適当にお茶の道具でも誉めてやる事じゃ。決して、お屋形様の前で道灌殿の事を誉めてはいかんぞ。お屋形様が道灌殿の事をあれこれ悪く言っても黙って聞いている事じゃ」

 万里は銭泡のために色々と忠告してくれた。銭泡は万里の話を聞きながら、相当、気難しい男のようだ、道灌のために、何を言われても我慢しようと思った。

 銭泡は道灌と馬を並べ、道灌からこの辺りであった戦の話を聞きながら進んで行った。二人の前と後ろには鈴木兵庫助、上原紀三郎ら供の者たちが十二騎、従っている。武装している侍たちは汗びっしょりになりながらも回りに気を配り、道灌を守っていた。そして、一行の後ろには陰ながら道灌を守るため、竜仙坊、風輪坊らがいるはずだった。

 一行は江戸城から二里余り離れた所にある世田谷の御所に立ち寄った。

 世田谷の御所とは将軍足利家の一族である吉良左京大夫(きらさきょうのだいぶ)の事だった。関東において公方様に次ぐ家格を誇り、軍事力はそれ程ないが、関東の武将たちも一目を置く存在だった。その世田谷御所の長男である左兵衛佐成高(さひょうえのすけしげたか)は扇谷上杉定正の娘婿だった。成高も今回のお茶会に招待され、共に行く事となっていた。

 御所で一休みした一行は小机城まで行き、日はまだ高かったが、その日はそこで泊まる事となった。小机城には道灌の重臣である樋口丹波守(たんばのかみ)が城代として守っていた。

 次の朝は日中、暑すぎるため、夜明けと共に出発し、巳(み)の刻(午前十時)前には糟屋のお屋形に到着した。

続きを読む


9.竜仙坊と風輪坊 [銭泡記]

修験道


 道灌の遺体は城下に住む河原者らによって、近くの洞昌院(とうしょういん)に移された。

 銭泡を初め、道灌の供の者たちも皆、洞昌院内の宿坊に移った。鈴木兵庫助は道灌の死を伝えるため江戸城へと向かった。

 もう、日が暮れかかっていた。

 セミが喧しく鳴いていた。

 銭泡は境内にある大杉の根元に腰掛け、ぼんやりと考え事をしていた。

 道灌が亡くなった‥‥‥あまりにも突然、あまりにもあっけなく、道灌は亡くなってしまった。

 この先、どうなるのだろう‥‥‥

 江戸城はどうなるのだろう‥‥‥

 道灌の跡継ぎの源六郎資康(すけやす)はまだ十六歳だった。今は足利学校で勉学に励んでいる。果たして源六郎に江戸城が守れるのだろうか。鈴木道胤ら重臣たちがいるから大丈夫だとは思うが、何となく心細かった。

 万里はどうするのだろう。道灌がいなくても、あそこに住み続けるのだろうか‥‥‥

 わしは、どうしたらいいんだろう。江戸に腰を落着けて、お志乃と一緒に暮らすつもりだった。でも、道灌がいないのでは江戸にいてもしょうがないような気がする。

 様々な思いが浮かんで来たが、どれもこれも答えの出ない疑問ばかりだった。

 ふと、人の気配を感じ、振り返ると竜仙坊が立っていた。

「銭泡殿が心配していた事が起きてしまったのう」と竜仙坊は言った。

「まさか、殿が殺されるとは‥‥‥」

 竜仙坊は銭泡の側に腰を下ろすと、小石を拾い、信じられんと言いながら投げ付けた。小石は山門の柱に当たって二つに砕けた。

「あの殿が殺されてしまうとはのう‥‥‥」

 銭泡は竜仙坊の着物に血が付いているのに気づいた。

「竜仙坊殿、下手人は捕まりましたか」

 竜仙坊は首を振った。

「下手人は一体、誰なんです」

 竜仙坊はまた、首を振った。

「分からん。分からんが下手人は何者かに殺された」

「殺された?」

「殺され、殿の首を奪われた。しかも、下手人を殺して首を奪って逃げた男も何者かに殺され、首を奪われた」

「一体、どういう事です」

「分からん。分からんが下手人とわしらの他にも道灌殿を見守っていた、というより見張っていた者がいたという事じゃな」

「何者です」

 竜仙坊は首を振った。

続きを読む


10.七人の山伏 [銭泡記]

修験道


 川の上を朝靄(あさもや)が流れている。

 朝早く、糟屋の城下のはずれの河原に七つの死体が並んでいた。皆、山伏だった。一晩、放って置いただけで異臭を放ち、傷口には虫が群がっていた。

 竜仙坊と風輪坊が錫杖(しゃくじょう)で死体を突っつきながら調べていた。こうして、並べてみると亡くなった山伏は皆、二十五、六の若い男ばかりだった。

「どうじゃ、知っている奴はおるか」と竜仙坊は風輪坊に聞いた。

「一人おる」

「ほう、どいつじゃ」

「こいつだ」と風輪坊が言ったのは竜仙坊が追いかけて行って、最後に大山の裾野で見つけた死体だった。

「どこの奴じゃ」

「駿河の浅間(せんげん)様」

「というと小鹿(おじか)新五郎か」

「間違いない。確か、東智坊とかいう奴だ」

「小鹿の山伏が最後に死んでいたという事は、首を持って逃げたが何者かに襲われ、殺されたという事かのう」

「多分‥‥‥」

「よし、まず、こいつらを組分けしよう。おぬしが最初に追った奴はどいつじゃ」

「こいつだが」

「わしが最初に追ったのはこいつじゃ。こいつとそいつは共に湯殿に隠れておった仲間じゃ。殿を殺した下手人じゃ」

 七人の死体のうち、小鹿の配下と湯殿の二人が河原者によって分けられた。

「残るは四人だな」と風輪坊は言った。

「こいつとこいつも仲間じゃ」と竜仙坊は二つの死体を示した。

「この二人は殿を殺し、湯殿から逃げた男を襲った。一人はわしが倒し、もう一人は首を持って逃げたが何者かに殺された」

「残る二人だが」と風輪坊が言った。「一人はわしが斬った。もう一人は首を持って逃げた男が斬った。この二人は仲間かもしれんが確信はない」

 七つの死体は五つに分けられた。

「五組か‥‥‥」と竜仙坊は顎(あご)に手を当てて考え込んだ。

 風輪坊はかたわらの石に腰を下ろすと、

「竜仙坊殿、わしには分からん事があるんだが」と言った。

「何じゃ」

「わしは湯殿から出て来た下手人をすぐに追って行った。わしの他に追っている者はいなかった。しかし、わしが林の中まで追って行くと、すでに下手人は殺されていた。誰が殺したのか知らんが、殺した奴はそこで下手人を待ち伏せしていたという事か」

「多分な。わしらは殿を追ってここに来た。すでに、その時には下手人らは湯殿に潜んでいた。わしら以外の者たちは皆、その事を知っていたんじゃ。奴らは皆、殿の生命を狙って、ここに集まって来た。その中の誰かが湯殿に潜んだ。そこで、他の奴らは殿を殺す事をその二人に任せ、二人が殿の首を持って逃げて来たら、それを横取りしようと網を張って待っていたに違いない」

「成程‥‥‥網を張っていた奴らは湯殿の二人の正体を知っていたんだろうか」

「さあな‥‥‥もしかしたら、湯殿の二人はお屋形様の配下ではないかもしれんのう」

「どうして」

「お屋形様の配下なら、わざわざ、首を持って逃げるか」

「しかし、いつまでも湯殿にいる訳にも行くまい」

「いや。首はお屋形内に隠した方が安全じゃ。奴らもお屋形内から出れば敵が襲って来る事は充分、承知じゃろう。首を持っていたお陰で、こいつらは殺されたんじゃ。首を持っていなければ逃げる事もできたじゃろう」

「うむ。となると下手人はお屋形様ではないという事か‥‥‥」

「かもしれん」

 竜仙坊も石の上に腰を下ろした。

 川の上の靄は消えていた。今日も暑くなりそうだった。

続きを読む


11.仲居のお紺 [銭泡記]

茶道具・菊地政光 風炉



 道灌の葬儀は洞昌院にて、ひそやかに行なわれた。道灌の供をして来た者たちと扇谷のお屋形、上杉修理大夫定正と弟の刑部少輔朝昌、定正の重臣たち数人の見守る中、道灌の遺体は荼毘(だび)に付された。

 道灌の遺骨は洞昌院の片隅に埋葬された。

 葬儀が終わると道灌の家臣たちは涙を拭いて江戸城へと帰って行った。

 銭泡は定正より、とんだ事になってしまったが、二、三日、屋形に滞在して茶の湯を教えて欲しいと頼まれた。こんな時に何を言っているのだ、と銭泡は腹が立ったが、竜仙坊と風輪坊から、その後の事も知りたかったので、もう少し、ここにいる事にした。

 定正と一緒にお屋形に戻ると銭泡はまた、広い客殿に案内された。たった一人で六部屋もある客殿は広すぎた。定正は疲れたから、ちょっと休むと言って奥の方に消えた。

 銭泡はもう一度、道灌がどう殺されて、敵がどう逃げたのか調べようと湯殿の方に行ってみた。行く途中、土塁の側まで行って調べた。

 竜仙坊も風輪坊も簡単に土塁に登ったように話していたが、こんな高い土塁をどうやって登ったのか不思議だった。聞こうとは思ったが、そんなつまらない事を聞くような状況ではなかった。しかし、その謎はすぐに解けた。こちら側からは土塁に上がれるように、あちこちに足場が作ってあった。敵が攻めて来た場合、土塁の上から矢を射るために、こちら側には足場があるのだろう。

 銭泡は土塁の上に上がってみた。土塁の上から濠を見下ろすと、思ったよりも高かった。当然、濠側には上り下りのための足場はない。土塁の下と濠との間が歩ける程度の狭い足場がある。二人の下手人と竜仙坊、風輪坊はあんな狭い所に飛び降り、竹の棒を渡って行ったと言う。とても、銭泡にはできそうもなかった。

 銭泡が下手人が逃げて行ったらしい森の方を眺めていると門番がやって来て、注意された。銭泡は謝り、土塁から降りた。

続きを読む


12.曽我兵庫頭 [銭泡記]

連歌とは何か


 日が暮れ、辺りは暗くなり始めていた。暗くなっても涼しくはならなかった。

 扇谷上杉定正のお屋形へと続く大通りに面して武家屋敷が並んでいる。その中でも特に大きな構えの屋敷が一つある。定正の重臣、曽我兵庫頭(ひょうごのかみ)の屋敷だった。兵庫頭は扇谷上杉家の重臣ではなく、定正直々の家臣だった。

 扇谷上杉家の重臣には江戸城の太田氏、小田原城の大森氏、松山城の上田氏、岡崎城の三浦氏らがいた。扇谷上杉家の事を決めるに当たっては彼らによる評定(ひょうじょう)で決まり、曽我兵庫頭はその評定の席には出られない。

 兵庫頭としても定正個人の重臣であるよりは、扇谷上杉家の重臣になる事を望んでいる。いつまでも定正の側にいて、定正の機嫌を取っているよりも、一城の主(あるじ)となり、道灌のような華々しい脚光を浴びる事を望んでいた。また、兵庫頭は定正の養子となっている五郎朝良(ともよし)の執事であった。朝良が扇谷上杉家を継げば兵庫頭がそのまま、扇谷上杉家の執事になるという事も可能となる。しかし、太田道灌がいる限り、それは不可能と言えた。

 竜仙坊は兵庫頭の屋敷に忍び込み、離れの書院の床下に隠れていた。定正の配下の山伏を動かしているのは兵庫頭だった。山伏の頭である中道坊がこの城下に戻って来れば、必ず、兵庫頭に連絡を入れるはずだった。道灌の首を追って、どこまで行ったのか分からないが、今晩あたり、中道坊の手下が何かを伝えに来るような気がした。

 竜仙坊はすでに、江戸にいる配下の者たちを長尾伊玄のいる古河と管領のいる鉢形に送っていた。どちらかに道灌の首が届くはずだった。

 兵庫頭は今、上の部屋で書物を読んでいる。何やら和歌の本らしい。兵庫頭に和歌は似合わないが、最近、定正が連歌に凝っているので、兵庫頭としても古典の研究をしているのだろう。

 竜仙坊は床下に横になって目をつぶった。自然と道灌の事が思い出された。

 竜仙坊が道灌と出会ったのは、もう三十年も前の事だった。十五歳の頃より大山に入って、山伏の修行を積んでいた竜仙坊は二十歳で先達(せんだつ)山伏となって大山を下りた。先達山伏とは自分の旦那場(縄張り)を持ち、その旦那場内の信者たちを集めて、大山に連れて行ったり、信者たちに加持祈祷(かじきとう)をしたりする資格のある山伏の事をいう。竜仙坊は武蔵の国の片田舎を旦那場に貰って、勇んで山を下りて行った。しかし、現地に行ってみると住んでいる人もろくにいない辺鄙(へんぴ)な所だった。それでも、竜仙坊は真面目に家々を回って信者たちを集めていた。

 一年が経った。こんな事をしていてもつまらん、こんな田舎に縛られていないで、旅に出て見聞を広めようと竜仙坊が決心した時だった。道端で、若い武士に声を掛けられた。その武士は、この辺りに新しく城を築くのだが道案内をしてくれと竜仙坊に頼んだ。それが、当時、備中守と称していた道灌だった。

 運命的な出会いだった。竜仙坊は旅に出る事も忘れ、道灌のために道案内をした。道灌は竜仙坊の意見も取り入れ、あちこちを見て歩き、江戸城を築くべき場所を選定した。

 一年後に江戸城は完成し、江戸の城下は竜仙坊の旦那場となった。それだけではなく、竜仙坊は道灌のために情報を集めるという内密の仕事も受け持つ事となった。

 竜仙坊は道灌と付き合ってみて、この男なら自分の生命を預けられる男だと見極めた。その見極めは正しかった。竜仙坊は三十年間、道灌のために影になって働いて来た。決して、道灌から命じられて働いて来たのではないと思っている。自分の意志で、道灌のためになると思った事をやって来たつもりだった。そして、道灌もそんな自分を理解してくれた。竜仙坊と道灌は主従関係以上の信頼関係で結ばれていた。

 道灌が亡くなってしまった今でも、その信頼関係は壊れてはいない。亡くなった道灌のためにも、絶対に下手人を突き止め、首を取り戻さなくてはならなかった。

続きを読む


13.不審な下男 [銭泡記]

男色の民俗学


 竜仙坊は江戸に、風輪坊は駿河に帰って行った。

 これ以上、ここにいてもしょうがない。殿の首の行方を追うと言って竜仙坊は去り、風輪坊は竜王丸の事が心配だと駿河に向かった。

 銭泡一人が糟屋のお屋形に取り残されてしまった。広すぎる客殿に滞在して、定正の所持する茶道具の鑑定をしたり、時折、定正に茶の湯を教えていた。

 定正は気まぐれだった。熱中していたかと思うと急に飽きてしまう。おだてて誉めてやれば機嫌がいいが、自分の思い通りにならないと、すぐに腹を立て、途中でやめてしまう。顔色を窺いながら教えるのも大変な事だった。教えて貰っているという真摯(しんし)な気持ちなど微塵(みじん)もなく、お屋形様のお茶の師匠にさせてやったんだという尊大な気持ちしかない。万里が来なかった訳も、ようやく、銭泡にも分かって来た。早く、定正から解放される事を願いながら、銭泡は毎日、洞昌院の道灌の墓に行って、念仏を唱えていた。

 銭泡としても早く、江戸に帰りたかった。しかし、定正の許しがない限り、勝手に帰る訳にはいかない。勝手に帰れば、連れ戻されるに決まっている。連れ戻されたら、定正よりどんな嫌がらせをさせられるか分かったものではなかった。

 定正の所持している茶道具は思っていた程、多くはなかった。確かに値打物を多く持っているが、道灌と比べたら、ほんのわずかしかない。頼まれていた鑑定も一日で終わってしまった。それが終わるとする事もなく退屈だった。それでも、仲居のお紺が、銭泡がつまらなそうに一人で部屋の中にいると、声を掛けて来て話相手になってくれた。

 今日も墓参りから帰って来て、部屋で退屈していると、お紺がやって来た。

「伏見屋様、また、お墓参りに行ってらしたのですか」

「そうじゃよ。道灌殿の御家族の方々の代わりとして、わしが参っておるんじゃよ」

「そうだったのですか‥‥‥皆さん、悲しんでおられるでしょうね」

「突然じゃったからのう。そりゃあ、悲しんでおられるじゃろう。ただ、奥方様はまだ、道灌殿の死を知らんのじゃ」

「えっ、どうしてです」

「熊野詣での旅に行っておられるんじゃ。道灌殿の死も知らずに‥‥‥」

「そうだったのですか‥‥‥熊野まで‥‥‥」

「帰って来られたら、さぞ驚く事じゃろう。まあ、その前に知らせを送るとは思うがのう」

「一体、誰が道灌様をあんな目に合わせたのですか。道灌様を殺した人たちは湯殿に隠れていたと聞きましたが、本当なのでしょうか」

「本当らしいのう。あそこに二人、隠れておったという」

「嫌ですわ。道灌様を湯殿に御案内したのは、わたしだったのです。あの時、すでに潜んでいたというのですか」

「そうか、あの時、案内したのは、そなただったのか」

「はい。そして、道灌様の御家来の方を御案内して、最初に見つけたのも、わたしだったのです」

「あの時の悲鳴は、そなただったのか」

「はい。お恥ずかしい事です」

 お紺は目を伏せた。浅葱(あさぎ)色の着物がよく似合っていた。

「なに、あんな光景を見たら悲鳴をあげるのは当然の事じゃ」

「伏見屋様は一体、誰があんな事をしたとお思いです」

「道灌殿の下におられる山伏が調べておったが、はっきりとは分からなかったらしい」

「分からないのですか」

「何しろ、湯殿に潜んでいたという二人は何者かに殺され、身元も分からんとの事じゃ」

「そうなんですか‥‥‥自分を殺した者が何者か分からないなんて道灌様も可哀想ですね」

「首がどこに行ったのか分からんというのが一番、哀れじゃ」

「そうですね‥‥‥一体、誰があんな事をしたのでしょう」

「道灌殿の下にいる山伏の話によると、長尾伊玄殿が怪しいと言っておったが、はっきりとした確信はないそうじゃ」

「長尾伊玄殿って、どなたなのですか」

「どなたといわれてものう。元々は管領殿の執事であった長尾殿の伜なんじゃ。父親が亡くなって、自分が執事になれると思っておったんじゃが、管領殿は伊玄殿ではなく、伊玄殿の叔父、父親の弟じゃな、その人を執事職(しつじしき)に就けたんじゃ。そこで、伊玄殿は管領殿に逆らって兵を挙げた。一時は管領殿やここのお屋形様のおられた五十子(いかっこ)の陣を攻め、管領殿を追い出し、五十子の陣を占領しておった事もあったんじゃが、道灌殿に敗れてのう、秩父の山奥まで追いやられたんじゃ。その後も何度も道灌殿と戦い、痛い目に会わされたようじゃ。今は古河の公方様の所におられるが、道灌殿に余程、恨みを持っておる事じゃろうのう」

「へえ、そんなお人がおられたのですか‥‥‥そのお方が誰かを使って道灌様を」

「らしいのう」

「このお屋形内で、あんな恐ろしい事が起こるなんて‥‥‥」

「お紺さんは、ここに来て長いのか」

「はい、もう三年になります」

「ほう、三年もここにおるのか」

「はい。このお屋形ができた当初から、ここにおります」

「このお屋形は三年前にできたのか」

「はい。お屋形様は河越のお城におられましたが、戦も治まったので、こちらにお移りになられました」

「そうか。三年か‥‥‥失礼じゃが、お紺さんはお嫁には行かないのか」

「はい。どうも、縁がなくて‥‥‥」

「お紺さんのように綺麗な人が、そんな事もあるまい」

「本当です。わたしは戦で両親を失い、親戚の人に育てられたのです。お世話になったその人に、お屋形様にお仕えしないかと勧められて、ここに参りました。十六の時でした。お屋形様のもとにお仕えするなんて怖かったのですが、仲居の人たちもいい人ばかりでしたので、今日までお勤めしてまいりました。お嫁に行く事なんて考えませんでした」

「そうじゃったのか。十六歳でここにのう。そなた程の別嬪(べっぴん)に声が掛からんとは、御家中の若い者たちも見る目がないのう」

「そんな‥‥‥」

「そうか、そなたが美し過ぎるからかもしれんのう」

「そんな‥‥‥」

「いや、きっと、そうじゃ。そなたが美しいから、きっと、お屋形様の思い者じゃと思って、遠慮して誰も声を掛けなかったんじゃ」

「まさか、そんな‥‥‥」

「いや。わしでさえ、初めて見た時、お屋形様の側室様じゃと思ったくらいじゃ」

「伏見屋様、もうやめて下さい。わたしは伏見屋様がおっしゃる程の女ではございません」

「そうかのう。ところで、お紺さん、ちょっと聞きたいのじゃが、ここのお屋形様は何人位の側室様を持っておられるんじゃ」

「えっ、どうして、そんな事を」

「わしが見た所、そなた程の女子はそうはいまい。そのそなたを側室にしないで、仲居にしておくとは不思議に思えてならないんじゃ」

「伏見屋様、ほんとに、もうやめて下さい」

「そうかのう。普通の男なら放ってはおかんと思うがのう」

「ありがとうございます。でも、人にはそれぞれ好みというものがございます。お屋形様の好みは少し変わっているのかもしれません」

「男色(なんしょく)という事か」

 お紺は頷いた。

続きを読む


14.狙われた銭泡 [銭泡記]

くノ一忍法帖 DVD-BOX PART1


 夏の盛りも過ぎたとみえて、このところ、過ごし易い日々が続いていた。

 銭泡が糟屋の屋形に来て五日が過ぎた。

 お屋形の定正に、そろそろ、江戸に帰りたいと告げると、明日、曽我兵庫頭の伜、豊後守が江戸に行くので、一緒に行けばいいと言われた。ただし、関東を去る前に、もう一度、来てくれと頼まれた。もう一度、来たいとは思わなかったが、一応、頷いた。

 昼過ぎ、銭泡は道灌の墓参りに出掛けた。ここを去ってしまえば、もう、墓参りもできなくなる。銭泡は道灌に最後の別れを告げていた。

 道灌の墓のある洞昌院はお屋形の北東、五町(約五百メートル)ばかりの所にあった。洞昌院とお屋形の間には、お屋形の鎮守(ちんじゅ)である山王社の森がある。帰り道、その森の側を通った時、銭泡は見慣れない山伏と擦れ違った。錫杖(しゃくじょう)を突きながら俯き加減に歩いていた山伏は一度も銭泡を見ずに通り過ぎた。

「危ない!」と誰かの声が聞こえたが、その前に銭泡は身の危険を感じて、杖を構えながら振り返った。

 山伏が剣を振り上げていた。

 銭泡は後ろに飛びのき、その剣を避けようとした。山伏は銭泡の方に踏み込んで来た。その時、どこからか手裏剣が飛んで来て山伏の肩に刺さった。

 山伏は顔をしかめて剣を銭泡の方に投げつけた。銭泡はその剣を杖で払い落とした。

 山伏は逃げて行ったが、途中で、つんのめるようにして倒れた。

 木の上から風輪坊が飛び降りて来た。

「驚きましたね」

 風輪坊は銭泡の持っている杖をしげしげと眺めていた。

「銭泡殿が棒術を身に付けていたとは‥‥‥」

「自分の身ぐらい守れん事には旅を続ける事はできんからのう」

「それにしても以外でした」

「それよりも風輪坊殿こそ、どうして、こんな所に」

「駿河に帰ろうと思ったんですが、途中で、銭泡殿を守れと命じられたのを思い出して戻って来たのです。命令も守らず、駿河に帰ったのでは、お頭にどやされます。わしが駿河に帰らなくても、あちらには仲間が大勢いますからね」

「そうじゃったのか。お陰で助かったわ。もう少しで殺されるところじゃった。しかし、どうして、わしの命など狙うんじゃろうか」

「奴に聞いてみれば分かるでしょう」

 倒れている山伏の所に行ってみると、山伏はすでに死んでいた。風輪坊の投げた手裏剣の他に、別の手裏剣が胸に深く刺さっていた。

「誰だ?」と言いながら風輪坊は懐(ふところ)に手を入れ、辺りを見回したが、すでに敵がいるはずはなかった。

 風輪坊は胸に刺さった手裏剣を眺めた。何の変哲もない手裏剣だった。刺され具合から見て、正面から投げられたものだった。

「何者なんじゃろう」と銭泡は死んでいる山伏を見下ろしながら言った。

「多分、弥吉の手下だ」と風輪坊は言った。

「弥吉?」

「ええ。銭泡殿、下男の弥吉の事を調べたでしょう」

「調べたという程の事もないが‥‥‥」

「弥吉は怪しい。何者かは分からんが、お屋形様と曽我兵庫頭がお茶室で話していたのを隠れて聞いていました」

「やはり、あの時、弥吉は盗み聞きしておったのか」

「それに、お紺という女も怪しい。弥吉と隠れて会っていました」

「お紺さんが?」

「ええ、お紺は弥吉だけでなく、怪しい商人とも会っていました」

「怪しい商人?」

「多分、どこかの山伏だろうが身元は分からなかった」

「あのお紺さんが‥‥‥」

 銭泡にはお紺が道灌の暗殺にかかわっていたとは、とても信じられなかった。あんな気立てのいい娘が怪しいなんて信じたくはなかった。

続きを読む


15.桔梗の花一輪 [銭泡記]

禅と茶の湯


 糟屋のお屋形を去る時、お紺は姿を現さなかった。部屋まで行ってみると、荷物はそのまま残っていた。不思議な事に、牧谿(もっけい)の絵だけがなくなっていた。お紺が自分の命を狙ったと聞き、会うのは恐ろしかったが、もう一度、あの笑顔を見たいような気もした。

 銭泡は曽我豊後守の率いる百人余りの兵と共に江戸城に向かった。

 豊後守は三十歳前後の若い男で、始終、渋い顔をして部下たちに文句を言っていた。

 豊後守はお屋形、定正より、江戸城の城代を命じられて江戸城に入るとの事だった。扇谷上杉家の事に銭泡が口出しする事はできないが、道灌の嫡男である源六郎資康の立場がどうなってしまうのか心配だった。江戸に向かう途中、何度か、その事を豊後守に聞いてみようと思ったが、いつも、怒っているようなので聞く事はできなかった。

 銭泡は江戸に帰ると真っすぐに『善法園』に向かった。お紺が銭泡よりも先に江戸に来て、お志乃を襲いはしないかとずっと心配だったが、何事もなかったようなので、ほっと胸を撫で下ろした。

 お志乃は首を長くして銭泡の帰りを待っていた。

「よかった‥‥‥無事で」と銭泡の顔を見ると嬉しそうに銭泡の手を取った。

「心配だった」と言いながら銭泡を見つめて涙ぐみ、ついには、銭泡の胸に顔をうづめて泣いてしまった。

 どうしたんだと銭泡は戸惑った。

 道灌の急死騒ぎで、誰も銭泡の事を知らせてくれなかったらしい。道灌の供をして行った者たちは皆、江戸に帰って来ているのに、銭泡だけが戻って来ない。噂では道灌に殉死した者が何人もいたという。もしかしたら、銭泡も殉死してしまったのではないかと心配していたのだという。

「お屋形様に引き留められていただけじゃ。死にはせんよ」

「わたしも死のうかと思ってたのよ」

「わしは大丈夫じゃ‥‥‥」

 ようやく落ち着くと、お志乃は涙を拭いて、

「大変な事になったわね」と言った。

「ああ。恐ろしい事じゃ」

「お殿様が急にお亡くなりになるなんて‥‥‥お風呂場で倒れたって聞いたけど、亡くなってしまうなんてね」

 お志乃は殺されたという事を知らなかった。どうやら、殺された事は隠され、急病で亡くなったと公表されたらしい。

「お城の方はどんな様子じゃ」

「毎日、評定(ひょうじょう)をしてるみたい。重臣の方々がお城に集まってるわ」

「そうか‥‥‥それで、家督の方は問題ないんじゃな」

「若殿様が跡を継ぐんじゃないの。今、足利学校にいらっしゃるらしいけど、重臣の方々が助けて行けば大丈夫じゃない。大殿様もいらっしゃるし」

「越生の殿様も今、お城にいらっしゃるのか」

「ええ。いらっしゃいます」

「じゃろうの‥‥‥道真殿の言っていた通りになってしまった‥‥‥さぞ、悲しい事じゃろう。自分よりも先に息子さんが亡くなってしまったんじゃからのう」

「大殿様は殿様が倒れる事を予想してたの」

「いや、そうじゃないが。わしはちょっとお城に行って来るわ。万里殿の事が心配じゃ」

続きを読む


16.太田源六郎資康 [銭泡記]

雪舟の旅路

 銭泡と共に江戸城に来た曽我豊後守は、とんでもない難題を持って来て江戸城を混乱させていた。

 第一に、太田家の家督は道灌の嫡男(ちゃくなん)、源六郎資康ではなく、岩付城の彦六郎資家とし、扇谷上杉家の執事職は豊後守の父親である兵庫頭(ひょうごのかみ)に決まったという。

 第二に、江戸城は城代として豊後守が預かる事となり、源六郎は家族と共に中城内の香月亭に住んでもかまわないが、根城は豊後守に明け渡す事に決まったという。さらに、道灌が預かっていた河越城には城代として兵庫頭が入る事に決まっていた。

 それらの事は、糟屋に集まった扇谷上杉家の重臣たちによって決められたもので、太田家としても扇谷上杉家のために穏便に従って欲しいとの事だった。

 太田家の重臣たちは豊後守に、そんな命令は受けられんと詰め寄ったが、どうする事もできなかった。道灌のいない今、お屋形様の無謀を止める事のできる者はいなかった。悔しさのあまりに、腹を斬って道灌に殉死して行った重臣もいたという。

 そんな騒ぎの中、嫡男の源六郎が足利から帰って来た。城内の芳林院にて道灌の初七日の法要が行なわれている最中だった。源六郎は何も知らずに法要に参加し、法要が終わると当然のごとく静勝軒に入った。

 源六郎は静勝軒にて豊後守から、すべてを聞かされた。源六郎はかっとなって刀を抜こうとしたが、従っていた重臣たちに止められ、香月亭に引き上げた。

 源六郎は香月亭の大広間に太田家の重臣たちを集め、事の成り行きを詳しく聞いた。

「誰が、父上を亡き者にしたのじゃ」

 源六郎は真っ赤な顔をして、上段の間から重臣たちに怒鳴った。

 重臣たちは皆、うなだれたまま黙っていた。

「誰なんじゃ」

 源六郎は立ち上がるともう一度、怒鳴った。

「まだ、分かりません」

 一番そばに控えていた中山右衛門尉(うえもんのじょう)が答えた。

「まだ、分からんじゃと、今まで何をしておったのじゃ」

「ははっ、申し訳ございません」

「どうして、豊後のような奴がここにおるんじゃ。奴は扇谷家の重臣ではあるまい。お屋形様の家臣に過ぎん。扇谷家の執事である太田家に指図するような身分ではあるまい。身の程知らずもいい所じゃ」

「しかし、お屋形様の命との事です。お屋形様に逆らう訳には‥‥‥」

「何を言っておる。修理大夫殿をお屋形様にしたのは父上じゃ。父上がおらなかったら修理大夫殿はお屋形様にはなれなかったんじゃ。その恩も忘れて勝手な命を出しおって」

「若様、言い過ぎですぞ」

「うるさい。わしは太田家の嫡男じゃ。父上が縄張りした、この江戸の城を守るのはわししかおらんわ。力付くでも豊後の奴をたたき出してやる」

 源六郎はいきり立っていた。重臣たちが、どうなだめても言う事を聞かなかった。

「本当の事を申してみよ。奴らが殺(や)ったんじゃな」

「失礼ですが、奴らとは」

「豊後親子よ。奴らがこの江戸城と扇谷家の執事職を手に入れるためにやったに違いないわ。そうじゃろうが」

「いえ、本当にまだ、下手人は分からないのでございます。山伏らの仕業という事は分かっておりますが、どこの山伏やら、まだ分からないのございます」

「山伏じゃと。父上が山伏どもに殺られたじゃと」

「はい。二人組の山伏に湯殿を襲われました」

「くそ! 父上ともあろうお人が山伏に殺られるとは‥‥‥その山伏は豊後親子の配下に違いないわ。その山伏をさっさと捕まえるんじゃ。そして、わしが豊後親子の奴らをたたっ斬ってやる。父上の仇(かたき)じゃ!」

 源六郎は父親を殺したのが、曽我兵庫頭と豊後守親子だと決め付けていた。

 重臣たちにも親の仇を討つという源六郎の気持ちは分かるが、今、豊後守と争う訳にはいかなかった。豊後守に敵対するという事は扇谷のお屋形様に敵対する事と同じだった。道灌が生きていればまだしも、道灌のいない今、お屋形様に逆らって勝てる見込みなどまったくない。まして、江戸城は豊後守に占領されている形となっている。根城で頑張っている豊後守を中城から攻撃して勝てるはずはなかった。

 一人で怒鳴り散らしている源六郎を見ながらも重臣たちは何も言う事ができなかった。

 源六郎の祖父の道真が現れ、重臣たちを帰して、二人だけになると、ようやく、源六郎も落ち着いて来たという。

続きを読む


17.偽物の首 [銭泡記]



 銭泡が酒を飲みながら道灌の肖像画に熱中していると、今度は竜仙坊が現れた。

 糟屋で別れて以来、行方が分からず、風輪坊も捜し回ったが見つからなかった。

「ほう、機嫌がいいようじゃのう」と突然、竜仙坊は庭から声を掛けて来た。

「竜仙坊殿、一体、どこに行っていたのです」

「ちょっとな」

 竜仙坊は上がらせてもらうぞ、と言うと縁側から上がって来た。

「おう、殿の絵を描いておったのか」

「はい。今日は道灌殿の初七日なので描いてみようと思ったんですが、なかなか、うまくいきませんわ」

「そうか‥‥‥」と竜仙坊は銭泡の描いた絵を手に取って眺めていた。

「何か、分かりましたか」と銭泡は筆を置くと聞いた。

「ああ、分かった。その前に、わしにもそれを一杯くれんか」

「ええ、ちょっと待って下さい」

 銭泡は台所から手頃なお椀を持って来て、竜仙坊に渡した。二人で道灌の絵を肴(さかな)に飲み始めた。

「首の行方が分かった」と竜仙坊は酒を一口、うまそうに飲むと言った。

「えっ、分かりましたか」

 竜仙坊は頷いた。

「一つは古河の長尾伊玄のもとに届いた」

「やはり‥‥‥伊玄じゃったか‥‥‥」

「もう一つは鉢形の管領殿のもとじゃ」

「伊玄と管領殿じゃったのか‥‥‥それで、本物はどちらへ」

 竜仙坊は首を振った。

「は?」

「両方、偽物じゃったわ」

「どういう事です」

「わしにも分からん」

「本物はどこに行ったんじゃ」

 竜仙坊はまた、首を振った。

続きを読む


18.道灌の首塚 [銭泡記]


 風の強い日だった。

 銭泡と万里は竜仙坊、風輪坊、鈴木兵庫助、明智孫八郎らに守られて糟屋の洞昌院に来ていた。

 今日は道灌の二七日(ふたなのか)だった。

 万里が是非とも道灌の墓参りがしたいと言うのでやって来たのだった。勿論、糟屋のお屋形様のもとに寄るつもりはない。あそこに顔を出したら、また、引き留められて、いつ、帰れるか分からなくなるし、二度とあの顔は見たくないと二人とも思っていた。

 竜仙坊は善法園で酔い潰れた次の日、さっそく、上野(こうづけ)の国の白井(子持村)まで行った。道灌の首を持って帰ると勇んで出掛けて行ったが、何の収穫も得られずに戻って来た。

「どうも分からんのう。白井の奴らは皆、殿が病死したと信じていたわ。殿が急に亡くなってしまったので、また、戦が始まるに違いないと噂している。まあ、江戸の連中でさえ、本当の事を知らんのじゃから、当然とも言えるがのう」

「管領殿の兄上殿もですか」

「管領殿から連絡があって、殺されたという事は知ってるはずじゃ。しかし、殿の首が白井に行ったのかどうかは、まったく分からん」

「分かりませんか‥‥‥」

「城内に潜入して、左馬助の近辺を探ってみたが怪しい所は何もない。毎晩、宴(うたげ)を催して、飲めや歌えと泰平の世を楽しんでおったわ」

「毎晩、宴ですか」

「おう。綺麗所の女子(おなご)をずらりと並べてのう。結構な身分じゃ」

「左馬助殿は道灌殿の暗殺に関わってはいなかったんですね」

「分からん。もし、首が白井に行ったとすれば、すでに届いているはずじゃ。左馬助が殿の首と対面した後、どこかに首塚が作られるはずじゃ。そう思って、白井中の寺を当たってみたが、新しい首塚など見つからなかった」

「というと首は越後まで?」

「かもしれん」

「越後か‥‥‥遠い所まで行ってしまわれたのう」

 竜仙坊はすぐにでも越後の府中に向かうと言ったが、銭泡が万里を連れて糟屋に行くというので、護衛のため付いて来てくれたのだった。

 道灌の墓は銭泡が最後に来た時のままだった。あれから、誰かが墓参りに来た様子はない。死んでしまえば仕方がないが、もし、道灌の墓が江戸にあったら、こんな淋しい事にはならなかっただろう。毎日、花に囲まれていたに違いないのに、こんな所に葬られたため、訪れる者もいない。哀れな事だった。

 万里は道灌のために書いた漢詩を墓に捧げた。それを聞いているうちに、銭泡を初めとして一緒に来た者たちは涙が流れて来るのを抑える事はできなかった。

 墓参りの後、洞昌院の和尚のもとに立ち寄って一休みした時、和尚より以外な事を聞かされた。

 お屋形の東、一里足らずの地に道灌の叔父の周厳(しゅうげん)和尚が鎌倉から移した臨済宗の大慈寺がある。今、周厳和尚は江戸城内の芳林院にいるので、そこにはいないが、そこに道灌の首塚ができたという。

 周厳和尚が甥の供養のために、首をそこに埋めたらしい。それにしても、目と鼻の先に首と胴が分かれて葬られているというのも可哀想な事じゃ。周厳和尚の気持ちも分かるが、どうして、そんな事をしたのだろうと首を傾げていた。

 初耳だった。

 道灌の首塚がどうして、そんな所にできたのか不思議だった。本物の首なのだろうかと銭泡は疑った。

「周厳和尚は今、江戸におりますが、そのような事、一言も聞いておりませんが」と鈴木兵庫助が怪訝(けげん)な顔をした。

「若殿は毎日のように、父上の首を捜し出せと申しております。首が大慈寺に埋められている事など知っている者は江戸には誰もおりません」

「おかしいですな‥‥‥わしはてっきり、周厳和尚がわざわざ、あそこに埋めたものと思っておりましたが」

「一体、いつ、その首塚はできたのです」

「初七日の時じゃったかのう。ここで法要をやっていた時じゃ。道灌殿の首が見つかったと駆け込んで来た者があったわ」

「一体、誰が、その首を持って来たのです」と竜仙坊が聞いた。

「お屋形様の配下の山伏じゃったと聞いたが」

 一行はすぐに大慈寺に向かった。

続きを読む


19.江戸を去る文人墨客 [銭泡記]


 江戸の城下にも道灌は病死ではなく、殺されたとの噂が広まっていた。ただ、誰に殺されたか、となると様々な噂が飛び交った。

 江戸城を乗っ取った曽我豊後守が殺ったに違いない‥‥‥

 いや、豊後守ではなくて、河越城に入った豊後守の親父、兵庫頭じゃ‥‥‥

 それは違う、殿様に長年苦しめられた長尾伊玄に決まっている‥‥‥

 そうじゃない、管領様じゃ。殿様の活躍があまりに有名になり過ぎたんで、妬(ねた)んで殺してしまったんじゃ‥‥‥

 本当はのう、女子(おなご)が原因らしいぞ。何でも、糟屋のお屋形様の愛妾(あいしょう)が殿様に惚れてしまい、お屋形様はかっとなって豊後守に殺させたんじゃよ‥‥‥

 真(まこと)しやかなものから、とんでもないでたらめまで、様々な噂が飛び交っていた。中でも、江戸の町人の支持を受けていたのは、豊後守が殺して、江戸城を乗っ取ったというものだった。

 銭泡は糟屋から帰ると、さっそく、芳林院の周厳和尚のもとに行き、大慈寺の首塚の事を確認した。勿論、和尚は何も知らなかった。何も知らなかったが、大慈寺に道灌の首塚ができた事を喜び、立派な供養塔を建てなければならんと張り切ってしまった。

 道灌の首をあの寺に葬ってくれたのは、仏様のお陰に違いない。有り難い事じゃと、さっそく、糟屋に向かう旅支度を始めてしまった。その首塚が本物か偽物か、まだ分からないとは銭泡には言えなかった。

 竜仙坊は中道坊に会うために河越に向かった。五日も経つというのにまだ帰って来ない。あの竜仙坊が殺される事などないとは思うが心配だった。

 風輪坊は毎日、城内の様子を探ったり、城下に、お紺が来ていないかどうかを調べていた。銭泡はお紺など来ない方がいいと願っていたが、風輪坊は、お紺がもう一度、銭泡を殺しに現れる事を願っていた。

 お志乃は銭泡と一緒に暮らすようになってから、店番と銭泡の面倒を見なくてはならなくなり、前よりも忙しくなったので、お鶴という若い娘を雇って店番をやらせていた。なかなか機転の利く娘らしく、暇な時には店をその娘に任せて、銭泡から改めて『茶の湯』を習っていた。

 最近になって、銭泡は万里と共に、やたらと送別の宴に招待されていた。道灌を頼って江戸に滞在していた僧侶や公家たちが、道灌が亡くなってしまったので江戸を去ろうとしていた。彼らのほとんどは旅の途中、道灌に引き留められて、江戸に滞在していた者たちだった。江戸城内の客殿に滞在していたのに、豊後守によって無理やり追い出され、城下の旅籠屋に移った者もいる。道灌が亡くなって、江戸城も豊後守のものとなり、江戸に見切りを付けて他所(よそ)に行こうというのだった。

 銭泡と万里は送別の宴に招待されては、彼らと道灌の思い出を語り合い、別れを告げなければならなかった。別れを告げる度に、この江戸もだんだんと淋しくなって行くのを感じない訳にはいかなかった。長く江戸に住み着いていた公家たちの中にも、道灌がいないのでは、と移住を考えている者も多かった。

 今日も京都に帰るという春水庵という歌人に別れを告げたばかりだった。その歌人は鈴木道胤の『紀州屋』に滞在していた。紀州屋を出た二人の気持ちは沈んでいた。

「みんな、いなくなってしまうのう」と言って万里が溜め息をついた。

「何となく、この町も活気が無くなって行くようじゃ」

「どうじゃ、もう少し、飲まんか」と万里は歓楽街の方を見た。

「遊女屋に行くのか」

「いや、女子を抱くような心境じゃないわ。ちょっと、酒を飲むだけじゃ」

「そうじゃのう。もう少し飲むか」

 二人は八幡神社の側にある小さな飲屋の暖簾(のれん)をくぐった。店の中には二組の町人が静かに酒を飲んでいた。

続きを読む


20.消えた若殿 [銭泡記]


 糟屋から突然、お屋形様が江戸城にやって来た。道灌が亡くなって一月後の八月の二十五日の事だった。大勢の兵を引き連れて、お屋形様は意気揚々とやって来た。城下の者たちはヒソヒソと内緒話を交わしながら、お屋形様の軍勢を迎えていた。

 銭泡も大通りまで出て、お屋形様の軍勢を見た。槍をかついだ鎧(よろい)武者の行列の後、派手に着飾った小姓(こしょう)たちに囲まれて、お屋形様は小具足(こぐそく)姿で得意そうに葦毛(あしげ)の馬に乗っていた。

 どうして、江戸に来たのだろうか‥‥‥

 豊後守の城代振りを見に来たのか、それとも、道灌の嫡男、源六郎に家督を与えなかった言い訳でもしに来たのだろうか‥‥‥

 その日の夕方、銭泡は風輪坊から城内のお屋形様の様子を聞いた。

 静勝軒に入ったお屋形様は二人の美しい小姓を連れて、まず、三階からの眺めを楽しんだ。二階に降りると道灌の書斎に入って、しばらくの間、道灌が残した書物や茶道具を感心しながら見ていた。その後、豊後守に案内させて、城内の櫓(やぐら)や濠や土塁を見て回り、東側の敵を想定して縄張りされた江戸城を北及び西から攻めて来る敵を想定しての守りを固めるための指示をした。そして、主殿(しゅでん)の大広間に待たせておいた源六郎と対面し、父親の事を慰め、父親を殺したのは管領の手の者の仕業だと言い、わしが必ず、仇(かたき)を取ってやるから安心しろと言った。

 源六郎が太田家の家督の事を言うと、そなたはまだ若い。わしは道灌の仇を討つために管領と戦う。そうなると敵がここを攻めて来る可能性も高い。そなたはまだ戦の経験がない。そこで、とりあえず、岩付の彦六郎を家督としたのじゃ。今後、父上に負けない程の活躍をすれば家督は勿論、そなたのものじゃ。この江戸城もそなたに任せよう。見事、父上の仇を討つ事じゃ、と言ったという。

「それで、源六郎殿は引っ込んだのか」と銭泡は文机(ふづくえ)から顔を上げて風輪坊に聞いた。

 銭泡は美濃に帰る万里のために、茶道具の鑑定書である『君台観左右帳記(くんたいかんそうちょうき)』を書き写していた。

 『君台観左右帳記』は前将軍義政の同朋衆(どうぼうしゅう)だった能阿弥(のうあみ)によって書かれた、当時、唯一の唐物(からもの)に関する鑑定書だった。銭泡の師である村田珠光(じゅこう)が能阿弥より伝授され、さらに、銭泡が珠光より伝授されたものだった。餞別(せんべつ)代わりに万里に贈ろうと思い、せっせと写していたのだった。

「いえ。引っ込みはしませんよ」と風輪坊は言った。

「豊後守が城代になるのは納得しない。江戸城は自分が立派に守ってみせる。豊後守がここから出て行くように命じてくれと頼みましたが、お屋形様は聞きませんでした。上段の間の襖(ふすま)はしめられ、お屋形様はさっさと静勝軒の方に行ってしまわれました」

「そうか‥‥‥お屋形様もいい加減な事を言うもんじゃのう。道灌殿を殺(や)ったのが管領殿だとはのう」

「お屋形様は管領殿より度々、道灌殿を生かしておくと長尾伊玄のように反乱を起こすに違いない。反乱が起きてからでは遅い。両上杉家のためにも今のうちに道灌殿を成敗した方がいいと言われていたそうです。お屋形様は、そんな事には耳を貸さなかったが、とうとう、管領殿は曲者(くせもの)を使って道灌殿を殺してしまった。まったく、許せん事じゃと言っておりました」

「そいつは本当の事なのか」

「さあ分かりません。実際に、そんな事もあったのかもしれません。しかし、お屋形様は自分の配下の者が道灌殿を殺したと信じています。管領殿が道灌殿を殺したというのは、嘘と承知の上で言っているんでしょう」

「うむ、じゃろうの。源六郎殿は豊後守のもとで管領殿と戦う事になるのかのう」

「その事で、太田家の重臣たちも二つに分かれています。今はじっと我慢する時じゃ。戦で活躍すれば、お屋形様も分かってくれるはずじゃ、と言う者と、道灌殿を殺したのは曽我の親子に違いない。もはや、お屋形様は信じられん。お屋形様のもとを去って、管領殿を頼るべきじゃと言い張る者がおります」

「うむ。源六郎殿の立場から見れば、今の状況で我慢して行くのは辛いじゃろうのう」

「ええ」

続きを読む


21.長尾信濃守 [銭泡記]


 シーンと静まり返った深夜、星は出ているが、月のない九月の初めの事だった。

 銭泡とお志乃の寝ている枕元に、音もなく現れた者があった。

 お紺だった。

 左手に笛のような物を持っている。右手の傷はまだ治らないのか、白い布が巻き付けてあった。

 お紺はしばらく、眠っている二人を見下ろしていた。意を決して、銭泡の側に近づこうとした時、隣の部屋から声が掛かった。

「お紺、今度は命を貰うぞ」

 お紺は立ち止まって板戸の方を睨んだ。板戸が静かに開き、風輪坊が手裏剣を構えて立っていた。

「お前は何者じゃ」とお紺は聞いた。

「それは、こっちが聞きたい事じゃ」

 お紺は笛を口元に持って行こうとした。

「死ぬ気か」と風輪坊は言った。

「伏見屋を殺して死ぬ気だったが、お前を殺して死ぬ」

「それは無理だ。後ろを見ろ」

 お紺はチラッと振り返った。後ろに手裏剣を構えた女がいた。

「死ぬのは、おぬしだけじゃ」

「何者じゃ」とお紺はもう一度聞いた。

「駿河の風摩党じゃ」

「風摩党? 駿河? 駿河の者がどうして、伏見屋の身を守るのじゃ」

「銭泡殿は駿河の早雲殿の大事な客人じゃ。死んでもらっては困るんじゃよ。それより、おぬしはなぜ、銭泡殿の命を狙う」

「親の仇じゃ」

「なに、親の仇じゃと。銭泡殿に親を殺されたとでも言うのか」

「そうじゃ。道灌と伏見屋は親の仇じゃ」

「道灌殿と銭泡殿が親の仇‥‥‥訳の分からん事を言うな」

「本当の事じゃ」

「おぬしは一体、何者なんじゃ」

「道灌と伏見屋に滅ぼされた豊島家の者じゃ」

「なに、豊島家の者‥‥‥ほう、そうじゃったのか。それで、道灌殿の命を狙っていたのか‥‥‥しかし、豊島家と銭泡殿とどういう関係があるんじゃ」

「伏見屋はその頃、道灌の軍師だった。伏見屋の指図で残党狩りが行なわれ、あたしの妹と弟、そして、母上は無残にも殺されたんじゃ」

「何を寝ぼけた事を言っておる。当時、確かに銭泡殿は江戸にいたかもしれんが、軍師などではない。ただの茶人として、お茶室を作っていただけじゃ」

「嘘だ。あたしの家族を殺したのはその男だ」

「まったく、話にならんな。そんな嘘を誰に吹き込まれたんじゃ」

「嘘ではない」

 銭泡が目を覚ました。

 銭泡は体を起こすとお紺を見た。

「わしではないぞ」と銭泡は言った。

「嘘だ、お前はあたしの家族を殺したんだ。あたしはお前を殺して死ぬ」

 お紺は笛を口に当てようとし、風輪坊とお紺の後ろにいる女は手裏剣を投げようとした。

続きを読む


22.駿河の国へ [銭泡記]


 銭泡はお志乃、お鶴、使用人の老夫婦を連れて旅籠屋『紀州屋』に移った。道灌を慕って江戸に来ていた旅人たちが皆、帰ってしまったため紀州屋も空いていた。

 使用人の老夫婦は元々、紀州屋で働いていた。お志乃が店を出した時、道胤がわざわざ付けてくれたのだった。紀州屋の女将に訳を話して引き取ってもらった。

 善法園は道胤に無断でしめる訳にはいかないので、昼間、お志乃はお鶴を連れて店の方に通った。

 風輪坊とお紺の二人も紀州屋に泊まっていた。風輪坊はやたらとお紺に気を使って、お紺のためなら何でもしてやっていた。お鶴も、あんな風輪坊は見た事もないと呆れていた。それでも、銭泡を守るという使命はきちんと果たし、紀州屋に移ってからも、昼夜、油断なく銭泡の身辺を守っていた。

 お紺は、これからどうなるのか分からないけれど、風輪坊と一緒に生きて行こうと決めていた。今まで、真剣に男の人を好きになった事などなかった。でも、風輪坊なら好きになれるかもしれないと思っていた。風輪坊は自分のような女でも優しく大切に扱ってくれる。この人と一緒に新しい生き方をしてみようと決心していた。また、お志乃も何かと気を使って、お紺の面倒を見てくれた。

 今まで、自分の事を親身になって思ってくれる人なんて誰もいなかったお紺にとって、初めのうちは、どうして、こんなに親切にしてくれるのだろうと戸惑っていたが、やがて、皆の親切を素直に受け入れるようになって行った。お紺も何もしないではいられないので、お志乃の店を手伝う事にした。

 善法園は暇だった。時折、町人が安いお茶を買いに来るだけだった。曽我豊後守の家臣たちは大勢いるのに、茶の湯を嗜(たしな)む者はいないらしい。同じ武士でも、やはり、道灌は違っていたと改めて感じていた。このままでは商売は成り立たない。道胤に相談して店を閉めた方がいいかもしれなかった。

 銭泡は風輪坊らと一緒に駿河に行くつもりだった。道灌が亡くなり、早雲が京から戻って来るだろう。そして、竜王丸がお屋形様になって、新しい今川家が生まれる。今川家中の重臣たちの中には茶の湯を嗜む者も多い。高級なお茶を売れば喜ばれる事だろう。道胤が戻って来たら、さっそく話してみようと思ったが、道胤はどこに行ったのか分からなかった。

 銭泡は万里にすべてを話して、越後には行かない方がいいと言うために、城内の梅花無尽蔵に向かった。

 茶室の方に人影が見えたので行ってみると万里ではなかった。明智孫八郎と仲居のおてるが何やら親密に話し込んでいた。銭泡を見ると慌てて、おてるが立ち上がった。

「なに、そのまま、そのまま。万里殿はおられるか」

「はい、おられます」と孫八郎は答えた。

「そうか、そうか」と二人に笑いかけると、銭泡は屋敷の方に向かったが、また、戻って来て、おてるに、おゆうの事を尋ねた。泊船亭にいた頃、世話になっていたおゆうが、その後、どうなったのか心配だった。

 おてるの話によると、おゆうはもう江戸にはいないとの事だった。仲居として、江戸城で働いていた娘たちのほとんどは太田家の家臣たちの娘で、親と共に江戸を去って行った。どこに行ったかは知らないが、おゆうも両親と共に江戸を去って行ったという。

 おてるは太田家の家臣の娘ではなく、この辺りの漁師の娘なので、そのまま残って、以前のごとく、万里の家族の食事の面倒をみているという。夢庵の子供を産んだおせんの事も気になって、おてるに聞いてみたが、おてるは知らなかった。おせんは鈴木道胤の家臣の娘だった。多分、品川に帰ったとは思うが、後で屋敷の方に行ってみようと思った。

 老鴬庵の床の間に、銭泡が描いた道灌の肖像画が飾ってあった。銭泡が、どうじゃ、似ておるか、と万里に見せた時、万里は何も言わずに目を潤ませながら絵をじっと見つめていた。その絵を銭泡は感激してくれた万里に贈ったのだった。

 万里は文机にしがみついて何かを写していた。

「精が出るのう」と銭泡は言いながら、縁側に腰をおろした。

「やるだけの事をやらん事には、お屋形様が、ここから出してくれんからのう」

「おぬしも大変じゃのう」

「早く、ここから抜け出して越後に行きたいわ」

「その、越後じゃがのう‥‥‥」

 銭泡は越後の事を話そうとして、竜仙坊が言っていた言葉を思い出した。万里に真相を話したら万里の身にも危険が迫るかもしれない。真相は話してやりたいが、万里の家族たちを危険な目に合わせる訳にはいかなかった。

「越後がどうしたんじゃ」と万里は顔も上げずに聞いた。

「あっ、越後か、越後はもうすぐ雪が降る」と銭泡はごまかした。

「雪か‥‥‥そうか、雪が降るんじゃのう。去年の冬は、ここにいて雪が少なかったんで雪の事など忘れておったが、越後は雪が多いんじゃったのう‥‥‥来月を過ぎたら越後行きは難しくなるのう」

 万里は筆を止めて庭を眺めた。

「一冬はここで我慢した方がいいんじゃないかのう。お屋形様がここに常におる訳ではないしのう」

「そうじゃのう。子供連れで雪の中を旅する訳にもいかんな」

「そうじゃよ‥‥‥」

続きを読む


銭泡記 ブログトップ
メッセージを送る

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。